10.23.2016

性依存とおじさん

考えてみると、私は「性依存症」だったのかもしれない。今日気づいた。

魅力的な女性を見ると、性交したくなる……ということは、男であれば正常な反応だと思う。ただ私の場合、これが度を越していた。女性をそういった行為の対象としてばかり、見ていた。親しくなった女性が家に来たら、必ず性交を強要した。性交できないと、怒ったような態度を取ることがあった。単なるデートであっても、頻繁に身体を触るような真似をした。

ただ単に、私の性欲が強いということが言えるのかもしれないが、それ以上に、強迫的に性交を求めるようなところがあった。私は、セックスが「友人」と「恋人」の境だと考えていた。だから、親密な関係の証は、性交にあるのだと考えていた。

それでいて、内面の繋がりができることは、とても恐れていた。私は孤独を固守した。私が読んでいる本だとか、思想のことを、恋人に打ち明けることはしなかった。神経症だとか、両親が離婚していることも、相手に伝えることはしない。私が何を考えているかも、伝えない。ただ、セックスというゴールに向けて、酒を飲ませたり、笑わせたり、ということだけ。

私は自分のことをまるで相手に伝えられないでいたから、肉体的にだけは繋がりたかったのかもしれない。もっとも、女性からすればそれは単なるエゴだろう。セックスしたいだけなら、風俗でもいけばいい。私の身体を、慰みに使うな……というところだと思う。

でも、私は心と、愛情を求めていた。これはほんとうだ。でも、どうしても、うまくいかなかった。

Jasmine Le Nozac'h
そういうわけで、私が女性と長続きしなかったのは、半ば強要であるセックスと、頑なな心にあったのだと思う。上記のことは、とても書きづらいことなのだが、この際だから書いてしまおう。

もっと書きづらいことは、自慰をかなりの頻度でしていたということである。大学時代は一日だいたい二回はしていた。そのおかげで、慢性的な疲労に悩まされていた。私は女性と性交する機会があまりなかったから、セックス依存というよりは、自慰依存症と言ってもいいかもしれない。

セックスは、どのような形であれ、男性の女性に対する攻撃だ、と読んだことがある。私の心のなかに、女性に対する深い憎悪と不信があるのだと思う。考えられるエピソードは、たくさん……。私を攻撃する女性の顔を、たくさん思い浮かべることができる。私は、いまは女性にとても愛されているのだが、思春期の頃に、同じ学校の女性に攻撃されていた時期があった。

でも、やはり、私の母親が、愛情を十分に注がなかったことが、この性依存のもっとも深い原因だと思う。愛情を渇望していた。「私は愛されるに値するのか」と、つねに葛藤していた。

しかし、私が自分の女性への接し方が「異常」だとは、これまで気づかなかった。恋人同士がセックスするのは当たり前のことだ、と思っていた。だから女性が私に別れを告げても、よく理由が飲み込めなかった。そもそも、女性と心が通じることがほとんどなかったのだが。

私はこの性依存のおかげで、どれだけの魅力的な女性と別れてきたかわからない。すばらしい女性たちばかりだったのに、私が肉体ばかり求めるおかげで、ついには愛想を尽かされてしまう。女性が心を開いても、私は心を頑なに閉じ、手ひどいことをしてきた。私は女性を恐れていたし、女性に怒ってもいた。何より、母親に怒っていたのだと思う。「母の呪い」は本当に強固だった。私の人生が、めちゃくちゃになるところだった。

気づけてよかった。



フランスの画家、Jasmine Le Nozac'hが最近気になっている。1970年生まれ。

1 件のコメント:

  1. 会話でのコミュニケーションが苦手だった元彼とリンクして、考えさせられました。
    何がきっかけかは知らないけれど、気づけるって素晴らしいことです。

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