11.01.2016

悪の省察

今春の一時期、上司が自殺未遂を図ったり、たちの悪い人間に関わっていたときがあった。そのとき私は「悪」に直面し、これがどこからやってくるのか考えなければならなかった。悪は必然なのか。悪はなくせるのか。悪は増えるのか、減るのか。悪から身を守る方法はあるのか。私自身は、悪なのか?

上記のような問題を考えていた。私は反社会的な人間のことを調べた。私が興味をもったのは、反社会的な傾向を持つ人間には、二種類あることだった。それは劣悪な社会的状況、家庭環境などの要素によって悪行を成す人間、いわば「反応的な悪人」と、裕福で、恵まれた環境にあっても悪へ向かってしまうような「生来的な悪人」がいることだった。前者は人間の心を持っているが、後者は嗜虐性、残酷さ、良心の欠如という言葉で説明される。いわばサイコパスである。

反応的な悪人の反社会的行動は、単純である。金がないから強盗に入ったり、女に振られたから殺したりする。いささか自制心が欠如しているだけで、教育しだいで常人に戻る可能性がある。サイコパスはそうではない。彼らは他者を利用し、破滅に追い込む。だからサイコパスは、単純な犯罪よりも、もっと計画的な、綿密な、厄介なことに「合法的」な悪行を成すことが多い。このため、サイコパスは社会中枢に多く存在していると言われる。

反応的な悪人は、適切なカウンセリングによって善人になりうる。だがサイコパスは、少なくともカウンセリングでは絶対に治らない。扁桃体に器質的な異常があると考えられている(仮説の域だが)。
サイコパスの根本的原因は遺伝子異常であることが推測され、扁桃体機能全体が障害されるのではなく、おそらく扁桃体機能のある一部と関連するある特定の神経伝達物質の機能が阻害されることで、より選択的に障害されていることが示唆される。われわれは、サイコパスでは、ストレス/脅威刺激に対するノルアドレナリンの反応が障害されていると主張したい。(「サイコパス 冷淡な脳」James Blairら)
いわば悪の極点とは、このサイコパスにあるのではないか……ということを、また考えている。前にも書いたが。

悪はここからやってくる。おそらく脳の異常に生まれた個体によって悪はもたらされ、それが世の中にさまざまな悪をもたらしている。

反社会的行動をする人間以外にも、私の元上司のように自殺未遂をしたり、私のように依存症や神経症になる人間がいる。これらは悪なのか。少なくとも、性格上はサイコパスとは真逆だが(自己反省の過剰)、しかし善というわけではない。

結局、反応的悪人の悪の発露が殺人や強盗などのように「外へ向かう」か、神経症者や鬱病のように人生を台無しにしたり自分を傷つける、といったような「内に向かう」か、といった違いしかないのだろう。両方とも悪人であって、両方とも自分を救わなければならない。少なくとも、サイコパスと違って改善の余地があるからである。

反応的な犯罪者も、精神疾患も、悪性の人間であるという点では同一である。このことに私は気づいた。

それと、サイコパスは完全に別格である。私はサイコパスを、悪の極点であると考えている。もしもサイコパスの存在をこの世から消すことができたら、この世から悪が消えるのではないかとも考えている。

気になるのは、サイコパスは完全に陽性の悪だけれども、完全に陰性の悪というのもあるのではないかと考えている。これはいまいち、想像しづらいけども。

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