11.09.2016

Happy Family

考えてみると、私の両親は未熟な人間だった。

彼らを尊敬することはできないし、愛することも難しい。いまはほとんど連絡を取っていない。あまり取ろうという気にもならない。もうこのまま、絶縁してしまった方が楽かもしれない。

ここで何度か書いたことだが、私の両親は私が十五歳のときに離婚した。理由はよくわからなかったが、よく耳にする「性格の不一致」という奴だろう。未熟な人間ほど、相手に完全性を求める。たがいに未熟な場合は、お互い虚空を見つめながら生活しているようなものだ。うまくいくわけがない。

ほんとうはもっと早く離婚したかったらしい。だが、末っ子である私が在る程度成長するまで我慢していたのだという。このまったく的外れの配慮によって、私の苦しみは無用に延長された。そうして、私が「成長」して人格が固定化される頃には、「この世には救いがない」ことをすっかり学習してしまった。

両親の離婚から10年後、フロムの以下の記述を読んだときはなんだかスカッとしたものである。
不幸な結婚に終止符を打つべきではないかという問題が生じたときも、子どもが投射の目的に使われる。そういう状況にある夫婦はよく、子どもから一家団欒の幸せを奪ってはならないから、離婚するわけにはいかない、と言う。しかし、「一家団欒」のなかにただよう緊張と不幸の雰囲気は、はっきり離婚するよりも、ずっと子どもに悪影響をおよぼす。すくなくとも、親が離婚することによって、子どもたちは、勇気をもって決断すれば、堪えがたい状況にも終止符が打てるということを、身をもって学ぶ。(E.フロム「愛するということ」)
私の両親は無能で、劣る人間であるように思う。悲しいことに、私は両親の影響を強く受けている。他人と持続的な関係が築けないということ。他人を愛することができないということ。依存的、幼児的な嗜癖を持つこと。そのおかげで、最愛の女性にも振られたのだろう。
「毒になる親」に育てられた子供は、愛情とは何なのか、人を愛したり愛されたりするというのはどういう気持ちになることなのか、ということについてよくわからず、混乱したまま成長する。(「毒になる親」スーザン・フォワード)
でも、私はなんとか無知の網から抜け出すことができた。愛情の概観をつかめたように思う。しかし私の兄ふたりは、両方とも、同じように不幸な人生を送っているように思われる。カエルノコハカエル。結婚式などで親戚が集まる機会には、私の家族だけ嫌に暗く、会話がなく、ぎこちなく、肉親に猜疑の眼を向けるような、「機能不全」ぶりをいかんなく発揮していた。少なくとも「結婚式」向きの家庭ではない。なんとなく、まがまがしい黒いオーラが出ているのである(私はこんな空間が嫌だから、ずっと叔母の家族にくっついている)。

そのような家庭でありながら、父はまったく悪びれることなく、私にぬけぬけと話しかけてくる。のんびりした口調で、まるで何もかも清算されたかのようだ。子ども三人を見事に育て上げた(とびきり不幸に!)この男は、酒の飲みすぎで脳シナプスをやられているに違いない。

暗い家庭で生まれることほど、悲しいことはない。そこで育つ子どもにとって、ほとんど暴力に近いことだ。家庭では苦しむばかりで、まるで救いがない。生きることは苦しみと不幸で塗りつぶされている。

愛情を知らないから、心のスキマを埋めるために奔走する。酒、ドラッグ、セックス……愛情を知らないから、病気に苦しむ。鬱病、神経症、対人恐怖、人格障害……。こういう空っぽの人間がいくら長生きしたところで、自殺した方がましなのかもしれない。じっさい、どうでもいいことで殺されたり、自殺するのはこういう人々である。生きる価値がない。救いがない限りは……。

このような家庭がどうして存在するのだろう?またどうしてこういう家庭は改善されないのだろうか?不幸はどこからやってくるのか。不幸の中にあった人が、そこから抜け出してしまうことはできるのか。そういうことを考える。

両親がバカだといっても、私にとってただ一人の父親、母親、であり、簡単に「絶縁」とか、「忘れる」とか、できるものではない。絶縁したところで、縁を切ることはできない。ダメな母親であっても、かつては私の世界のすべてだったのである。そのことに、どう折り合いをつければよいのか……。でも、つけなければ前に進めない。

世の中は、バカばっかりだ。年齢は関係ない。社会的地位も関係ない。バカばっかりで、うんざりする。尊敬できる人間はわずかしかいない。

無知は隷属だ。奴隷は死んだまま生きる。はじめから死んでいる。生きることのないまま死ぬ。それと同じように、生きることのない人間が、現代でも溢れかえっている。ほんとうに物事を考えることのできない人、なにかを感じることができない人。大切な何かをはじめから失っている人。

私はそういう人間にはなりたくないと思う。

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