12.24.2016

五年目の雑記

気がつけばブログを初めて5年が経つ。

「世界を変えるため」はじめたブログであったがいまだ世界は変わらない^^ ただ内的な世界は大きく変わった。これは年齢による生理学的な変化なのか、思想の深化なのかわからないが。5年前のぼくと今のぼくでは世界が違って見える。

神経症的な性質はだいぶ転換した。ゲーテによれば長所にならぬ欠点はないとのことである。ぼくはかつて神経症だったしこれからも神経症であるだろう。しかしいまは神経症的な性質を愛している。神経症的潔癖、これは幾分か高貴の匂いがするからである。

思想的な深化はだいぶ遂げた。なにしろ読書ばかりしている生活なので……。今年も心理学や社会学、歴史学、精神医学、神学、哲学、脳神経学、呪術、密教、色とりどりの学問がぼくを楽しませてくれた。物事の道理というものがある程度わかってきた。ぼくの知性がどこまで到達したのかわからないが「庶民層」は脱していると思う^^かといって、社会的にはいまだ唖であり、米粒以下のぼくである。

これからどういう生活になるのかわからない。ぼくはサラリーマンを二年続けているけど、もう辞めになるかもしれない。赤の他人に経済的生命を依存させるというのは不気味なことである。

それでSのヒモになれればよいな、という考えが浮かんでいる……一年か、二年くらい……。ちょっとした計画を立てている。ぼくはとにかく、智慧を身につけたいのである。一日八時間も労働に費やすのは疲れた……それに、無意味だ。そういうのは、そういうことが好きな人がやればいい。
「技術的には、下層階級の労働時間を一日三、四時間にすることはしごく簡単なことだろう。しかし、それで彼らがちょっとでも幸福になれるだろうか。いや、そんなことにはならないよ。
――三時間半の余分な暇が幸福の源泉になるどころか、みんなはその暇から何とかして逃れようとせずにはいられない気持ちになったものだよ。」(「すばらしい新世界」ハクスレー)
とにかく、知識、知識、知識!この世の道理を知ること。色彩と感覚を楽しむこと。悪を見極め、遠ざけて生きること。それがぼくの目標である。
往々にして、高い知性をもった人は、自分の知性についてアンビバレントであり、時には、普通の人、あるいは「平均」人になろうとするあまり――いわば聖書のヨナがやったように、自分の運命から逃れようとして、知性をまったく拒みさえする。創造的な才能をもつ個人にとっては、自己の才能と折り合いをつけ、これを完全に受け入れ、発展させることのできるのは、つまり、自己の才能についてアンビバレントであることを超えるのは、往々にして、生涯の半ばを過ぎてからなのである。(「マズローの人間論」エドワード・ホフマン)
ブログは、まだまだ続けようと思っている。最近は煮物を作ったとか、金が欲しいとか、そういうだらしない記事ばかりで、アクセスは減ってきている。しかしそれくらいの方が居心地がよい^^ ほんとうのところ、最近はだれも読んでいないのだから、数少ない読者のみなさんは自分に希少価値を認めてよいと思う。

今年はSとの出会いが最良の出来事だった!それに、いろいろな出来事があった。ぼくは幸福だったし不幸でもあった。でも出来事はすべてぼくの血肉になった。

以下は昔のデザイン。昔は「御厨鉄」という名前だった。また戻そうかな?とも考えている^^





「剃刀の鋭き刃は渡り難し、と詩人は言いて、至上の智に至る行路の難きを嘆く」ウパニシャッド
「門は狭く、生命に至る道は細い。そしてそれを見出す者は少ない」マタイ福音書

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