12.27.2016

働くことは立派なことではない

働くことが本当に嫌だ。

嫌だー!^^

働くことは立派ではない。そんなことはだれでもできる。いや、むしろこう言ってもいいだろう。労働者は働くことしかできないのである。だって、働かなくても生きていけるのであれば、ほとんどの人間が働くことを辞めてしまうでしょう。資産がない、才能がない、知恵がない、あとがない……そういう人間が生きていくために仕方なくするのが「労働」。これは大企業のエリートだろうと派遣社員だろうと同じ。

労働と統治。下層階級には、労働を課し、常に疲弊させよ。考える暇を与えるな。反抗する余力を残すな。わずかな賃金を報酬とし、財産を与えるな。
我々が憲法に書き込んだ人民の権利というのは幻夢的なもので決して実行のできるものではない。……というのはほとんど毎日働かなければならぬから憲法を使うことが出来ない。(シオン議定書)
想像してみてほしい。我々の労働時間が一日三時間になったら?我々の平均年収が2000万円になったら?下層階級が思考と健康を取り戻し、知恵と力をつけ、欺瞞を暴き、国家は崩壊するだろう。ゆえにこう言うことができる。国が豊かになることはあっても、国民が豊かになることはない。永遠にない。

すべての人間の緩慢なる自殺、それが「生きがい」と呼ばれるところ、それが国家である……ニーチェのこの発言は現代の労働者の価値観と見事に符合する^^

支配システムとしての労働がある。労働に駆り立てるために人間を道具にかえるのではない。人間を道具にかえるために労働がある。ここ、大事なところです。

フーコーが指摘したように、「監獄」へ入れられる人間は、精神異常者から「労働不適合者」へと変遷していった。働かない人間は、社会的な脅威となったのである。

私はそういう社会のカラクリが理解できるようになったので、もう働く気が霧散してしまった。

自分がバカな人間だと思う人は、労働を続ければよいでしょう。バカのままで微温的生活を続けられる。私は知識に生きることにした。

労働者一年八ヶ月のおじさんより

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