12.09.2016

任意保険に入らないおじさん

キュレーションサイトがやり玉に上がっている。

私はこの手のサイトを見ることはないのだが、たしかに検索で引っかかることが多くうっとおしい。なので基本的に検索は「ノイズレスサーチ」というサイトを使うようにしている。これを使うことで、まとめサイトやヤフー知恵袋のようなQ&Aサイトが消える。

もっとも良いのは、検索ワードに「PDF」を追加することだろう。論文や公的機関の資料を見つけることができる。まあ論文も玉石混交だけど……。

ちなみに私の記事もNAVERまとめに「キュレーション」されていることがあった。なんでもありなのだろう。

仕事柄学術的・科学的な情報をネットで探すことがあるけど、噴飯物の「まとめ」がたくさんある。でもたしかに、何ら前提知識がない人は「そういうものか」と思ってしまうのかもしれない。

狡猾な人間が、小銭をつかってバカな人間に記事を書かせ、バカな人間が読む。広告が読み込まれ、金が動く。ようやくバカな読者たちが、「俺はバカじゃないぞ」と吉本的なタイムラグで憤ったのがいまの状態。

結局バカを相手に商売するのがいちばん楽なのだろう。これは明白だ。極端な例は、麻薬や売春の商売。パチンコやソーシャルゲーム。でも、こういうビジネスって心が荒む。決して幸福にはなれない。組織化された大企業だと、こういう罪悪感はうまくマスクされるのだろう。タバコ会社の社員なんかは、けっこう罪悪感で苦しむものらしいが。

日本人は消費者としてまったく成熟していないように思われる。だから外資にとっては楽園なのではないかな。

先日年末調整の書類を書いているときに、生命保険に入っていないことを伝えると、別の社員が驚いていた。「自動車保険には入っているんだろう?自分自身にも保険をかけなきゃ」と言われた。私は納得した振りをしたけど、実は自動車保険にも入っていない。バイクの任意保険も入ったことがない。

私は自動車の任意保険を憎んでいる。たかだかビジネス用の商品にもかかわらず倫理的な価値があるように匂わせているからだ。おかげで「任意」保険に入っていないだけで犯罪者みたいな扱いを受ける。

私は人を轢き殺せば一生をかけて償う。だれかの車にぶつければ、法的な賠償金は支払う。償いは受ける。それと、任意保険に入るかどうかは別。

保険は基本的に払えば損になる。そうでなければ保険会社は利益をあげられない。ようは保険は宝くじのようなものだ。私はギャンブルをしないから、保険にも入らない。単に経済合理性に従っているだけだ。国から強制されるものは入るが……。

任意保険に入っていないことを伝えると、ひとびとがぎょっとする。私はキチガイか何かのように扱われる。ときどき、この強固な観念は呪術でつくられたのかと疑うことがある。ひとびとは自動車の任意保険を、実際のもの以上に感じている。

こういうビジネスって、すごいな、と思う。ほとんど洗脳と変わらない。勝ちが確定している。保険のビジネスと新興宗教って近いのではないかな。オウムの元信者の洗脳を解こうとした精神分析家がいたけど、「一度洗脳されたものは戻せない」と諦めたらしい。その点、「水素水」の罪のなさ……。

あと、日本人ってアホだなーと思うのは中古の自動車が異常に安いこと。新車信仰というか、中古車恐怖症というか、そういうものが伺える。600万円の車が10年落ちで60万円ってどうなんだ……。

貧乏人は「金がない」と言っておきながら、新車の軽自動車をぽんと買ったりする。不思議。私の今いる田舎は年収300万円が御の字の貧しい街だが、ピカピカの軽自動車が走っていたりする。

これも「消費者を洗脳する」結果なんだろうなーと感心する。「型落ちの高級車はかっこわるい」という意見もあるけど、全然みっともなくない。古いものを大事にするって良いことでしょう。それに今の車って、デザインが……。これは私の趣味かな。

まあいつの時代もマスは支配者によって都合よく作り変えられるわけだ。時代によって文句を言わない農民だったり、勇敢な兵隊サンだったり、アホな消費者であったりするわけだけれども。

共通して言えることは、マスってけっこう幸せなんだよな。いろんなことが支配者層によって用意されていて、その上を歩くだけだから楽だし、同じようなアホとわいわいガヤガヤすることができる。

疑わないことの楽しさと、知ることの孤独とがある。



金を稼ごうと思って、いろいろ勉強中。

3 件のコメント:

  1. 最近、人間味のある文章を書くようになりましたね
    豊かさや安定の表れでしょうか?

    浮世離れしていた以前よりも、ずっと世俗的で私は好きですよ

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  2. 柔らかくなったな、と自分でも思います。角がとれたというか、神経の緊張が落ち着いたというか。
    人間変わるものですね。

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  3. そういえば、森田正馬が次のようなことを書いていました。

    「具体的に事実を述べると、芸術的になり人の共感を得ることができます。また具体的に話すことができるのは、その人がかなり進歩している証拠であります。赤面恐怖でまだ少しも良くなっていない人は、抽象的なことばかり訴えます。「つまらぬことを気にする」とか「目上の人に気兼ねする」とか「死ぬような苦しい思い」というふうに、誰しも感ずる当たり前のことや、あるいは何のことか少しも見当のつかない漠然としたことをいって、人の同情ばかり求めようとします。神経質の人が自分の苦痛を抽象的に独断的にいわないで、事実を具体的に表現する工夫をすれば、それだけでよくなるのであります。」

    この記述の影響を受けています。抽象的な単語をやめて、固有名詞を増やしてみたり……。人間味というのは、そういうところから出ているのでしょう。

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