1.01.2017

2017=DO ITの年

実家との距離600kmを下道(というかToll way回避)で帰ってきたおじさんである^^

前回の帰省は、バイクで帰った。バイクに比べると、車で帰るのは呆れるくらい楽ちんであった。時間にして12時間。平均時速は50km/h。途中仮眠や食事したことを考えると、いい数字である。疲労感はないのだが、なぜか体重が1kg減っていた。(いよいよ54kgを割ってしまった)。身長が173cmあって、私より痩せている人は稀だろう。

2017/1/1/09:07


2017年という年になったようである。この年は「DO IT」と読めなくもないと思うがいかがだろうか?

私は12時間車を運転しながら、いろいろ考え事をしていた。車の運転は退屈で、考えることぐらいしかすることがなかったからだ。私は去年、なにをしただろうか?何かを成し遂げただろうか?バイクで走り通した去年の始めから、何かが変わっただろうか?

何も変わっていないのである。

私は何も行動しなかった。ただ一箇所にとどまり、あれこれ説明して、指図することはした。「あれは間違っている」「あれは劣っている」というようなことを私は言った。そうして「それはする価値がない」と嘆いた。

私は川底に刺さった枝のようにとどまり続けた。その結果得たものは、はたして索漠とした一年間であった。私は勉強して、人よりも知恵をつけた。そして言葉によってあれこれ説明することに成功した。しかし正解であるところのそれが、私に何をもたらしただろうか?

何もないのである。

私はひとつ悟ったことがある。「わからなくてもやる」そして、「わかっていてもやる」ことが大事だ。これをしなければ、人は幸福になれない。また、生きる意味がない。

賃金労働はくだらない。利潤は経営者や国がもっていく。しかしそれをあえてやる。世界旅行はくだらない。どこへ行こうと、人間の本質は変わらない。しかしそれをあえてやる。

仕事を辞めたらどうなるか、私にはわからない。その先はまったく暗闇のように思われる。しかしそれを、あえて実行する。女に身も心もすべてを捧げると、どういうことが起きるのだろう。……予想もつかない。しかしそれをあえてやる。

神経症は「わからないからしない」「わかっているからしない」という病気である。苦しみや不幸は、川底に刺さった枝のように、流れに逆らい続けることにあるのだと思う。理性によって行為への欲動を制止する。この苦しみが、神経症的苦しみである。

何もしたがらない怠惰な人間がいる。彼の言うことは、理性的で、また正義である。「その行為に意味があるのか?」「それよりも良い方法がある。そんな方法ではダメだ」「それは法律に反している。また、倫理にもとる」これらはたいてい、正当な主張である。しかし、正当だが、「正しくない」。人間が精神のみで生きるのなら、彼は正しいのだろうけど。

しかし、人間は歩まなければならないのである。

血は黙っていても循環する。

私にとって、2017年が「DO IT」に見えたのは、そういう年になるという気がしているからである。


2017/1/1/17:31
心は万境に随って転じ、転処実に能く幽なり―(『伝灯録』二、摩拏羅章)

1 件のコメント:

  1. あけましておめでとう!ほんとだ。「DO IT」に見える!!
    成功も良いけど、失敗からの方が得るものが多い気がするから
    恐れることなんて何一つないと思います。世の中、動いたもん勝ちです!
    今年も素敵な一年になりますように☆彡

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