1.03.2017

n+1次元のおじさん

実家から戻ってみて、そわそわした、落ち着かない気分であった。

田舎の実家は、ひどいボロになっていた。祖父が死んだから、祖母と父が住んでいるのだが。こんな家に私は住んでいたのだな。ホコリだらけ、傷だらけ、ガラクタだらけ、隅には虫の死骸が転がっている。山の麓ということもあるが、隙間風が入ってきて、とんでもなく寒い。

今住んでいる家に帰ってみると、モデルルームのようで笑ってしまった。これはこれで滑稽だと思う。小奇麗な平屋の住宅。デンマーク製のデスクに、古びれたアラジン・ストーブ、システムキッチン。楽器にバイクのヘルメットが飾られている。壁にはボルディーニやヴラマンクの絵画(ポスターだけど)。床はルンバが掃除した上にワックスをかけているので、つやつやしている。他人の家に入るかのように緊張した。八畳間の和室を寝室にしているが、布団と間接照明がひとつずつ。それだけしかない。Sが家にあがったときに、「織田信長か?」とか言ってたが、確かに珍妙だ。こんな家だったっけ。

ある意味で、私は田舎のしょうもない家庭から成り上がろうとしているわけだ。限度はあるだろうと思うけど。

私は自分が二流大学を卒業して、二流の仕事をしていることを、悔やんだり悔やまなかったり。私は自分がきちんと教育を受けて、せめて予備校に通っていれば一流の大学に入っていたと思う。私の両親がもう少し「上等」であれば、それなりの人物として、今くらいの年齢には成功していたのではないかな。

上には上の世界があるということを、下にあるうちは想像もつかない。官僚とか、芸術家とか、大学教授、医者や弁護士、研究職や一流商社でもよいが、そういう上流社会は、貧困家庭には「雲の上」だ。エリートであることが正しいとか、幸福だとは思わないが、そういう道が幼い時分に選択肢として与えられている人は幸いである。

まあ、ないものねだりであることはわかっている。初めから裕福な家庭に生まれると、富は「中性的なもの」になってしまい、ありがたみがなくなるものだろう。下から這い上がるのが楽しいのであって、ヘリコプターで山頂に登る登山なんて楽しくないことはわかっている。

権勢への意志というものが、たしかに人間にとって根源的な欲求であるように思われる。私も、権力と結びつかない以上知識にあまり意味はないと考えている。

これは奇妙な感覚なのだけど、私は読書をはじめた23歳頃と同じように、孤独で、友達は少なく、恋人もいないのだが、あのときは自分を負け犬だと思っていたが、今は自分のことを勝者だと感じている。これが知識による力なのだと思っている。

つまり、私より金持ちの人は山ほどいるし、私を権力でねじ伏せる立場の人は山ほどいるだろうけど、同時に私はそういう人たちのことを、自分より「下」だと思うことができる。この感覚は、ルサンチマン的な優越感とは違う。

ルサンチマンは無能で病気で痴愚であることを「誇る」のだが、私はそういう考え方はしない。私はやはり権力や富に憧れを持っているし、そういう実利的な力を忌むわけではない。

知恵のもつ力というのは、そういう実際的な権力とは次元が違う。違うのだけど、実際にこの知恵というものは、力を持っている。権力はn次元、知恵はn+1次元である。知恵は、権力によって影響されない次元をもつ。神秘主義者のいう「高次の認識」とはそういうことである。

田舎のしょうもない家庭に生まれたおじさんは権勢を得るべく奔走する予定である。

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