2.09.2017

ヤンキーを愛するおじさん

「過去を棄て去っても、過去は必ず追いかけてくる」とは私の好きな映画のセリフ。

ゲッツ板谷がどうしようもなく好きなのだが、それは私自身も「不良」だったからなのだと思う。まあ、不良といってもしょうもない次元だ。たばこで停学処分を受けたり、自転車を盗んで捕まったり、ヤンキーのたまり場に無断外泊するような。

喧嘩をしたり、バイクで暴走することはなかった。なんといっても、私はほんとうに臆病だったから……。臆病で神経質であり、喧嘩が強いわけでもなく、喋りがうまいわけでもない。不良に憧れているかわいいチキンちゃんであった。

学校へはちゃんと通っていたし、教師の言うことは守った。それでもつるんでいるのはヤンキーばかりだった。というか、私の通っていた公立中学校はヤンキーが多かった。あまりに多すぎた。不良でいるのが当たり前であり、のちに医学部だの旧帝大だのに入る連中はクラスの片隅で目立たなくしていた。そんなわけで私もヤンキーがかっこいいと思っていた。

高校もヤンキーだらけであった。というか、余計にひどくなった。私が通っていたのは進学クラスなのだが、そのクラス以外は偏差値40程度の連中だった。その学校は日常的に「レイプ」だの「殺す」だの物騒な単語が聞こえてくるし、学園祭のような催しでは金のチェーンを首にぶらさげた不良がフリースタイルでラップ勝負をしていた。

そういう中でも私は不良でもないしマジメでもない中途半端な位置にあった。私は度胸がないし、とてもヤンキーという器でもないのだが、とにかくオタクと一緒にはなりたくないという妙な焦燥感があり、また同じように「オタクでも不良でもない」中間的な連中と付き合うことが多かった。

そんなわけで、大学へ入学してからが大変だった。私はまるきり適応できなかったから……。

実のところ、いまでもヤンキーはかっこいいと思っている。ヤンキーは喋りがうまいし、度胸があり、喧嘩が強いのだから、私は優れた人間が多いと思っている。

とはいっても、ヤンキーは高校を卒業してしまうと、大抵の場合は肉体労働をしたり、工員になったり、社会的には下方に置かれてしまうようである。

私は大学へ入ってからも、ヤンキーのような連中とつるむことがあった。大学のヤンキーたちは、たいてい勉学についていけず、ドロップアウトしてしまった。(授業に出ないから当然なのだが……)私も次第にヤンキーとつるむことを辞めた。ある程度、大学の制度に適応したひととつるむことにした。まあ、大学で私は浮いていたから、つるむ人間も限られていたが。

ヤンキーのような度胸のある人間が私は好きだ。見ていて気持ちがいいのだ。

それでも社会制度は、反社会的な人間を許さないようにできている。学校では幅を利かせていたヤンキーたちは、社会的に転落していく。そうして、制度に順応したマジメくんが支配者層になる。

それは合理的で民主的なのだろうけど、私はそういう社会に閉塞感を覚えるときがある。

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