5.16.2017

神経症と隷属システム

神経症一般というよりも、自分自身をふりかえって思うことがある。私は根本的に、文明に対する敵意を抱いているのではないか、ということである。

表層的には私は神経症であり、聴覚過敏であり、人嫌いである。

神経症であることをつきつめて深く考えてゆくと、学校教育に対する拒絶がその発端であった。私は学校へ行きたくなかった。しかし親も教師もそのことを許さなかった。同級生はなお許さないだろう。彼らとて「行きたくない」のである。だからこそ、学校を勝手に休んでしまう学生は通常、いじめの被害にあうことになる。

生きている世界の環境すべてが「学校へ行くこと」を善とし、陰に陽に強制するような状況において、私の緊張と敵意はピークに達した。そのとき神経症が起きた。

就職してから神経症は軽くなった。神経症の症状は収まった。だがより根本的な、「神経質」が私を苦しめた。私は労働に耐えられなかった。労働そのものは楽しめたが、労働の構造が私には許せなかった。なぜ私が働くと、経営者がその成果を収奪してしまうのだろう。私がどんなにがんばっても、給料は毎月変わらず、経営者を利するだけなのだろう。

経済思想を学ぶにつれ、この考え方がいちがいに狂気じみても子供じみてもいないことを学んだのだが、とにかく私は社会一般に受け容れられている「労使関係」が我慢ならず、犯罪的にすら感じられ、二年働いたのち仕事を辞めた。

学校教育は子どもを隷属化させる過程であり、労働とは奴隷行為である。そういうことを知ってしまった。労働や教育が美徳とされる社会において、「隷属」そのものを本能的に忌むように生まれた人たちは、ある段階で自我の分裂を引き起こさざるを得ない。教育と雇用が優先的に保証されたある意味で「他国が羨む優等生的な近代国家」では、かえって労働者や学生が自殺し、精神を病むようになる。

文明の「進歩」の過程そのものを、あらためて問いただしたいと思っている。「進歩」の実相とは何か。文明の起源とは何か。

古代ギリシャも、古代ローマも、戦争と奴隷制によって発展した。停滞していたヨーロッパが東洋を超越したのは、奴隷売買のおかげである。アメリカが世界最強国家となったのも、黒人を思いのまま搾取することができたからであった。古代の日本についても同様である。

奴隷の量的・質的向上によって進歩は急速に発展した。奴隷→農奴→賃金奴隷という2000年の歴史、我々の文明の歩みとは、奴隷制の歩みなのかもしれない。

2 件のコメント:

  1. 金の為ではなく他に目的があって働いている場合、会社の奴隷ではないんじゃないかな?逆に会社をうまく利用させてもらい(部活動的な感覚で)、目的を達成したら即辞める。働いているうちに会社に洗脳されたら負けだけど(笑)

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  2. まあそれはそうでしょうね。「辞められる」目処がついてるなら隷属ではないです。
    ただ大部分の人は企業に隷属せざるを得ないのです。これは経済的に強制されて、と言えるし、社会規範disipline的に強制されているとも言えます。今回の記事では後者について検討しています。
    ですから経済的な解放と、精神的な解放がなければ安逸のニート生活()は難しいという現状があります。

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