5.19.2017

ニートの山篭り

今日は天気が良いので、キャンプをすることにした。今は焚き火の前でこれを書いている。

住むところを考えている。今月いっぱいで、社宅を追い出されることになるからだ。

社宅(借り上げ)はコンビニまでバイクで3分、田舎にしては便利な一戸建てで、しかも家の周りは空き地、隣家まで30mほど離れているので、騒音を気にしなくてよかった。

でも、家の前が通学路だったり、抜け道になっていたりで、私の理想とする田舎暮らしではなかった。車の通る音がうるさいし、家の前をだれかが通ると落ち着かなかった。

しかも町内会費を払え!といってくるおばさんがいて閉口した。「社宅なんで会社に言ってもらえますか」といったらそれ以降尋ねてこなくなったけど。

都会の人が「田舎暮らしをしたい」と言うとき、ほとんどそれは隠遁生活への志向だと思う。つまり、ゴミゴミした都会生活の真逆……周囲にはだれもいなく、ただ自然と、自己だけがあるような環境。そういう「理想状態」に憧れる気持ちはわかる。だれだって田舎者とは付き合いたくないものだ。

しかし現実には、他者との関わりからは避けられない。何者かわからない奴が住みついている、となれば地方の人が不審がる、あるいは好奇心がわいてくる。そういうものだと思う。「私は静かに孤独に暮らすためにここにきた。頼むから厄介事を持ちかけないでくれ」そう言いたくなるだろう。

私もできることなら、周りにだれもいない環境に住みたいと思っている。自動車の騒音が聞こえなくて、目の周りは自然のみ、他者や住宅が視界に入らない……。しかしそういう物件は、日本ではなかなかないみたいだ。どこにいっても集落、住宅街、そういう息苦しい場が待っている。

私が今晩泊まるところは、山の上にある。太平洋が一望できる。オフロードバイクで登れるところだが、登山者以外は訪れない。この土地を100万円くらいで買えるのなら、私は小屋でも建てて暮らすのだけどな。

静かで、孤独に暮らしたい。そういうことが難しい社会ではある。

実家の土地を借りて、小屋ぐらしなんかしたら素敵だと思う。風呂は薪で、電気はソーラー発電で、小さな畑をもって、読書の日々……。やはり実家に戻ってleechとして暮らそうかな。山林を売り払っていないといいのだが。

私は「生活を生きたい」という密かな欲求がある。つまり、何かのための生活ではなく、生活のための生活……。生きることを生きる。ただ生きる。難しいな、表現が。

私は何者にもなりたくない。何者かになるということは、何者か以外になることを否定されるから。ただ人間として生きたい。

住む所……やはり小屋ぐらしになるかな?私はニートだから、半年もあれば作れるだろう。バカでかい本棚を作って、晴耕雨読の日々を過ごしてみたい。

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