5.25.2017

労働の法則

賃労働とは自分の人生をだれかに捧げることである。母親は幸福だ。自分の子どもに人生を捧げることができるから。子どもは幸福だ。砂遊びやかけっこは自分のための労働なのだから。

しかし労働者はどうだろう。ただ資本を持っているだけのブルジョアに労働を捧げなければならない。

「なぜ?」と無意識は問う。
「なぜ?」社会はそうなっているから。
「なぜ?」そうしないと生きていけないから。
「なぜ?」それが当たり前だからだよ!いちいちそんなことを聞かないでくれ!

労働者の心のなかにできた空白。私の人生はどこへ行ってしまったのか?だれが何のために私の人生を奪っていくのか?

労働における矛盾は、ただ労働によってのみ解決できる。一日8時間の労働は、一日12時間にならなければならない。そうでなければ自分のことを考えなければいけなくなる。無意識が顔を出してくる。「なぜ?」の声がガンガンと響いて、逃げられなくなる!

「お前の」人生は何なのだ
なんて惨めなのだ
ただ他人のための道具と成り下がり
ただ生きるためだけに生命を費やしている
なんて哀れ なんて愚か
どうして「お前は」そんなに不自由なのか
「私の」声を聞かないのか

労働によって生じた歪みを、さらなる労働によって塗りつぶす。嘘、欺瞞、詐欺をいったんはたらけば、さらに大きな虚偽で塗り固めなければいけなくなる。

「無意識の声なんて聞きたくない……そんなものは悪夢に等しい!」ひとびとはそう呟いている。小さな声だが、何億人もの声となると、集まり、渦巻き、怒号のような黒い竜巻となった。いつしか竜巻は固定化し、静的な力となり、美しい音色をかなでる社会となった。黒いエネルギーは「愛」となり、「慈善」となり、「進歩」となった。信じられないことに、「自由」さえそこにあった。労働者の摩擦はそれら美徳によって潤滑された。熱は冷まされ、回転は速まった。労働者は、ずっと幸福な労働者となった。

さあ、突っ走ろう、死ぬまで!

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