5.17.2017

ニートはどうやって生きるか

今日はユングを読んで、それから猫を撫でて終わった。

ニートになると承認欲求をどうやって補っていくかを考えなければいけない。仕事しているときであれば、一社員として、承認欲求は勝手に与えられた。一日8時間、同僚や上司と顔を合わせるのだし、協働的な仕事をこなすなかで信頼関係は構築されていった。

 

ニートになってしまえば、そういう繋がりはなくなる。すると生きている意味や、自分の存在価値といったものがわからなくなってくる。私は生きていていいのですか。そういう疑問が浮かんでくる。

ニートになるということは、組織から外れて裸の個人となることを意味し、さらには潤沢な時間がかえって彼を拷問にかけることになる。私とは何者か?私は何のために生きているのか?という厄介なテーマが彼に襲いかかる。




本来であれば経験を積んだ修行僧や、高い水準の哲学を身に着けたような人でなければ、孤独に隠遁し、実存的問題と格闘することは難しい。生身の個人が、生身の現実とぶつかることになる。これはほとんどの現代人には対処不可能だ。



だから大部分のニートはゲームや2ch、アニメに没頭することで時間を空費することに勤しむ……あるいは、バツの悪い顔をしながら社会に復帰することになる。時間を空費したのだから、彼らはこう言うことになる。「まったく、何も成長しなかった!私は子どもの頭脳を持った大人だ。なんていう時間の浪費だっただろう」

私は何の意味を持って生まれたのか?……そんなことを考えるのは面倒な社会である。エリアーデが書いていたと思うが、ある部族は自分たちが儀式を行わないと、太陽は止まってしまい、永遠に日の出や日没が起きないだろうとかたく信じていた。羨ましい話ではないだろうか?


現代は「大きな物語」がなくなったとされるが、その現代であっても素朴な人々は、自分がフライドチキンを揚げることや自販機にコカ・コーラを詰めることが社会貢献だと信じている。「とりあえずそれで良い」というわけだ。一日8時間の労働が、加速化する社会が、厄介事から目をそらしてくれる。



ケインズは技術の進歩が進めば週に15時間の労働で済むだろうと予言した。週に2日の労働、あるいは一日3時間の労働へ短縮してもよいというわけだ。しかしこの予想はハクスレーにばっさりと切られている。
「技術的には、下層階級の労働時間を一日三、四時間にすることはしごく簡単なことだろう。しかし、それで彼らがちょっとでも幸福になれるだろうか。いや、そんなことにはならないよ。
――三時間半の余分な暇が幸福の源泉になるどことか、みんなはその暇から何とかして逃れようとせずにはいられない気持ちになったものだよ。」(「すばらしい新世界」)
そして結果的に、ハクスレーの言うとおりになった。



暇な時間は恐ろしいものだ、と人々は考えている。何が恐ろしいのか。「自分」だろう。ユング風に言えば、ichに対するところのSelbst。つまり無意識の自己が、意識の領域を侵犯することになる。お前はこれまで一面的に生きてきたが、それは間違っている……この声から、すべての精算が始まる。世界はひっくり返る。



それは自然と健康への回帰なのだが、現代人にとってそれほど恐ろしいものはないのだ。産業社会において、もはや自然に還ることはできないのだ。ルソーは嘆息した。足萎えめ!とニーチェは激した。

1 件のコメント:

  1. 北朝鮮の将軍様もオウム真理教の教祖様も、ブラック企業の経営者様も皆共通項があるとすれば、「生きる意味」を与えてくれるということだ。大きな物語の中で自分の存在を意味付けることが、孤独や不安から自分を遠ざける。快楽や欲望は尽きることが無いし、刹那的だ。その点、「生きる意味」を与えてくれる存在は基本的に実現不可能にも思える、様々な課題を克服しなければならないという、死ぬまでの真面目な暇潰しをさせてくれる点において、優秀なシステムだと思う。人生に意味などない。だが、今ここにいることが、どれ程の奇跡なのかは、宇宙の広さを考えて見ればわかる。段ボールで生活をしている人間も、奇跡の存在なのだ。自然に還ることはできないが、どれ程社会的な生物になっても、その存在は宇宙の存在の1つであることに変わりはない。

    返信削除