6.26.2017

zacky-ojisan

ニートのくせに何もしないのはアレなので、日記を書いておこう。

今日はお腹が痛かった。昨日祖母の料理を食べたからだと思う。私の家の冷蔵庫を開けて、食材を手にとってみてほしい(床が傷んでいるから気をつけ給え)。賞味期限が2013年とか、2015年とか、年代物ばかりだ。そういったものが捨てられずに冷蔵庫に詰めこまれている。

「一回冷蔵庫の中身全部捨ててしまいたい」と思うのだが、無駄なのだろう。これは習性なのだ。もはや彼らは、自分のしていることに自覚がない。認知機能の低下は一種の不可逆的狂気である。

東京や大阪は違うのだろうが、私の住んでいる地元はとても高齢化が進んでいる。これはタイと日本の大きな違いである。まあ、タイも若干高齢化が進んでいて、40代がピークとなっているらしい(マッサージ屋もおばちゃん化が進んでいた)。

とはいっても、日本のように60代が突出して多いということはなく、街なかを歩いていれば20代のかわいい女の子が歩いている(というかタイ人は基本的に歩かずにバイクに乗っている)。

日本はこれがない。これがないからつまらない。日本の田舎町にいるのは若作りしたおばちゃんか女子中高生くらいで、まあ女子中高生でもいいのだが、20代前半くらいの女性がいないというのは、まことにつまらない。私はこんな国は嫌だと思う。何かが間違っている。グロテスクな国家構造だ。奇形の国だと思う。いくら日本がいい国だとしても、こんな歪な国は御免だ。

ともあれ今日はお腹がぐるぐるとして痛かったのだが、陰鬱な実家にいる気もしないので図書館へ行った。地元の図書館は建物や設備は古いものの、蔵書はセンスがよい。そして自習室は一人二人しかいない。いつも思うのだが、ネット関係の仕事で東京や大阪のレンタルオフィスなど借りるくらいなら、田舎のこういうところでやればいいと思う。無料だし、wifiがあるところもある。

それで読書をした。フロイト関連の書籍と、日本の民俗学的な本を読んだ。私は稲作以外の日本人像を掴みたいと思っている。

日本人が稲作農民だった――というイメージは、明治政府のおしつけた歴史観に過ぎないようである。
とくに、いわゆる明治維新以後、近代国民国家が成立し、単一の国民文化の形成がはかられると、それに伴い日本文化を単一・同室の稲作文化だとする考え方が普及しました。その過程で稲を祖先伝来の聖なる作物とする稲作農民の思想と、天皇の先祖が天上でつくった聖なる稲をたずさえて地上に天降ったという神話が結びつき、我が国を天皇が統治する豊かな稲作国家だとする瑞穂国史観が形成されたという反省すべき思想史の流れも認められます。(「日本文化の多様性」佐々木高明)
弥生時代、朝鮮半島から天皇家の先祖(天照大神)がやってきて米を伝えた……というふうにすれば統治上は非常に都合がよろしい。なぜって米は日本人のソウルフード、「食わせてくれた人」には決して逆らわないのが人間の習性である。(私の実家でも米を作ってるけど、思想的には天皇べったり)

ただ原田信男の「歴史の中の米と肉」によれば、以下の通りらしい。
近世の初期、十七世紀頃を中心にして大規模な新田開発がすすめられ、それによって水田の面積が日本全体で急激に増加した。また秀吉の全国統一を契機に、兵農分離を伴う形で太閤検地が実施され、それによって中央政権が全国の耕地面積を精確に把握するようになった。その結果、都市に集住する武士が村落の農民から米を御許する年貢を収奪するという中央集権的な国家体制、いわゆる幕藩体制が作りだされた。そうした状況を背景にして、全国のすべての生産力を米を基準とした石高で表示するようになり、米が政治・経済の基礎となる、いわゆる「石高制=米社会」が確立したというのです。(同著)
米がいわば「標準化」されたのは近世以降。とにかく明治政府(~現政権までの系譜)ってのは日本史をねじまげるね。



私の興味を引くのはサンカという存在で、山ぐらしをしていた人々。こういう人々は、竹細工の農具などを売りながら村々を転々と歩いた。

意外なことにサンカは穢多非人よりも差別されていたらしい。戸籍も家も持たないからだそうだ。私は差別といえば「穢多非人」という言葉が頭に浮かぶが、現実にはそれよりずっと差別されていた存在があったのである。

穢多非人はかえって特権的な職権を与えられており、穢多の食肉加工や革製品の製造の他にも、非人の警察の末端機構として働くこともあったとか(つまり非人が農民を取り締まる)。明治政府に穢多非人を「平民化」したら、かえって窮したという話もおもしろい。

被差別者が生き残るのは、ほんとうには差別されていないからなのだろう。ほんとうに憎まれ疎まれていたのであれば、消されている。ナチスがユダヤ人を抹殺しようとしたように、明治政府はサンカを殺した?(ついでにアイヌ人もほとんど抹殺させている……ちなみにアイヌ人が縄文人の末裔ということは遺伝的に否定されているらしい)

私はなんとなく、明治以降の日本政府はサンカを恐れているのではないか、という気がしている。

で、話がすっ飛ぶようだが、日本の異常とも言える杉植林への執着(いまや森林の半分以上は杉植林済み)は農水省(林野庁)の利権や官僚特有の暴走などではなく、サンカ撲滅の一環なのではないか……と考えてみたり。おそらく杉林にはサンカは住めないだろう。木の実も野生の動物にも乏しいからである。

杉林

ブナ林
ちょっと恣意的な画像かも^^;

なぜ政府はサンカを怖れるのか。それは単純に明治以降の国体思想に反するからでもあるだろうし、戸籍を持たない存在をどうにかしたい行政の都合でもあるのだろう(犯罪など起きたらどうしようもない)。あるいは歴史的な確執があるのかもしれない(私は日本史に詳しくない)。

加えてオカルト的には、たぶん天皇家や支配者層と呪術的な対立があるのではないかと私は妄想している。サンカは山の神と扱われることもある。山姥だの天狗の正体はサンカという説もある。どこかこう、霊的呪術的に「強い」というイメージがある。平野の中心にある天皇と、山の神を信奉するサンカ。

まあ、所詮妄想である。

いずれにせよ、杉植林は森を殺し山を殺す(地すべりなど土砂災害の原因は杉植林?:参考 私が目にした地すべりはほとんどすべて植林地)。加えて花粉症などという嫌らしいアレルギー疾患もあるのだから、国は杉植林からさっさと手を引いて欲しいものである。

プールおじさん

それで読書は数時間で終えて家に帰った。が、陰鬱で臭い実家に居る気はおきず、また外出した。プールへ行ったのである。

近所にある大型の市民プールで、はじめて行ったのだがなかなか快適なところだった。仕事で行っていた田舎のジムのプールは800円くらいしたと思うのだが、こちらは500円。二時間ばかり泳いだ。

驚いたことに、平泳ぎの感覚が突然つかめていた。私はそれまで、クロールしか泳げないと思っていた。平泳ぎではぜんぜん前に進まない……と思っていたのである。それが、試しに平泳ぎで泳いだら……泳げた!

平泳ぎのコツとは、とにかくキックで進むということである。で、キックしたらケノビのように身体をまっすぐにする。ここで距離を稼ぐ。手カキは、小さなアクションでいいらしい。キック→スイーっと進む→手カキ(息継ぎ)こういう手順だったんだな~。そんなわけで平泳ぎって楽に進むなあ!と感心したのである。

クロールは相変わらず楽しい^^ クロールも全身で泳ぐということが大切だと思う。手でかくだけではない。体幹が抵抗にならないよう、しっかりと水に浮かせなければならない。手先は指が開かないように意識する程度、体幹の筋肉をうまく使いたい。

あとはドルフィンキックもうまくなった気がする。これもオーバーなアクションはかえって抵抗になり、少しの動きの方がスムーズに進めることを学んだ。

水泳は長く続けているけど、いい運動になる。身体が水冷式に冷やされるし^^ 間接を痛めることもない。私はスポーツ全般が嫌いだし、軽蔑さえしてるけど、水泳は良いものである。

といっても私の水泳は完全に自己流である。スポーツ選手じゃあるまいし、コーチングはいらないと思っている。結局、水泳は水との対話だ。どう泳ぐかは水に聞けばよろしい。そんなわけで私はまあまあうまく泳げている。

ヘタクソな人を見ていると、「手をかく」、「バタ足をする」、と頭で考えてしまうから泳げないのではないかと思っている。大事なことは「前に進みたい」という意志である。プールを見ていると、「いちおうクロールの形になっているけど、果たして前に進む気があるのか?」と疑うような人が多い。前に進みたい、と思わなければ前に進まないのである。

まあ私もヘタクソなので、戯言である。プールでスカッとしたので今日は酒飲んで寝よう。

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