7.01.2017

日本人は賃金奴隷である

キケロは言った。「労働を金のために売るものはだれであろうと、自分を売り渡しているのであり、自分自身を奴隷に貶めているのである」

アメリカ南北戦争の時代には南部の奴隷擁護者(ときに奴隷自身)からこういうことが主張されていた。(北部の)労働者は自由だが、名ばかりの自由である。彼らは終りなき過酷な労役に苦しめられている。南部の奴隷の方がより豊かであり、自由に暮らしている。

これは事実であったのかもしれない。

もちろん労働者諸氏はこう叫ぶだろう。「私たちには自由が保障されている」、と。しかし労働者諸氏には次の自由が与えられていない。仕事を辞める権利=労働から解放される権利である。

もっとも、いわゆるニートがその権利を持っているとは言えない。彼らのほとんどには依然首輪が繋がれてるからである。彼らはその離脱によって首の締め付けにいっそう苦しんでいるというだけで、次には縊死するか、労働に復帰するしか道が残っていない(二重の阻害)。

さて一国の内戦に過ぎない南北戦争がきわめて重要なのは、一個のターニングポイントだったからである。それは数千年の歴史を持つ古典的奴隷から賃金奴隷への以降である。

まあだらだらとこのあたりを書いても仕方ないので、なぜ日本人は社畜化したかを考えてみよう。一億総活躍社会とは総労働者社会であり、つまるところ総奴隷社会である。ではそれほど総動員で働いた利益はどこへ行くのだろうか。アメリカであり、イスラエルであり、ユダヤ人といったところだろう。


私は考えるのだけど南部アメリカが勝利していたのなら、日本は植民地化され奴隷化されたと思う。しかし奴隷制より賃金奴隷性が好ましいところがいくつかある。それは彼らに「自由意志」で労働を行わせることができるということであり、そのことが限界以上の労働成果を生み出し、主人への忠誠を生み出し、謀反や一揆の可能性を奪ったのである。

日本の就職活動を見給え。「あなた方資本家に金儲けをさせるために、私たちを雇ってください!」とひざまずく就活生。これが現代の完成された奴隷制である。私はこれ以上に優れた支配を知らない。


結局、日本が植民地されなかったのは「その方が利益があがる」からであり、「安全だったから」に過ぎない。そしてその目論見どおり、日本人は世界一働き、すなわち世界一搾取される国民となったのである。おしまい。



おまけ

 これまで書いてきた、権力支配による「人間をダメにするシステム」が、何十年間も、女性たちの多数および男性たちの大多数を牛耳ってきた。人々が目を覚ましている時間の半分を、人生の大半の間、奪い続けるのである。特定の目的のためなら、我々のシステムを民主主義や資本主義 -あるいはもっとマシな- 産業主義と呼ぶことは、必ずしも間違いとは言えないかもしれない。しかしその本当の名前は、工場ファシズムやオフィス独裁なのだ。
 人々が「自由である」と言う奴はウソツキか大バカ者である。人は自分がしている通りの人間になる。もしあなたが、退屈で愚劣で単調な仕事をしているなら、あなた自身も最後には退屈・愚劣・単調な人に成り果てるだろう。我々の周りに忍び寄る白痴化現象は、テレビや教育のような顕著な精神薄弱化メカニズムよりも、労働から説明した方がはるかに説明がつく。人々は人生をまるまる支配され、学校から労働へと引渡される。初めは家族、終わりは養老院でくくられ、ヒエラルキーに慣らされ、心理的に奴隷化されてしまう。彼らの自律心は全く退化させられてしまっているので、自由への恐れは非理性的な恐怖症の一つにまでなってしまっている。労働における服従訓練は、家族に持ちこまれ、それからひとつならず様々な方法でそのシステムが複製されて、政治・文化・他のすべてにまで及ぶ。一度、労働者から活力を奪ってしまえば、万事においてヒエラルキーと専門知識に服従するようになるだろう。人々はそれに慣れきってしまうのだ。(ボブ・ブラックの労働廃絶論 れんだいこのHPより^^;)



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