7.23.2017

私を殺そうとする声

バリ滞在5日目。特に何をするでもなく、だらだらと過ごしている。



日本で切るタイミングがなかったので、ウブドの床屋で髪を切ってもらうことにした。ウブドの中心地のbarber。しかしバリカンでばっさりやられてしまって、一日気分が憂鬱だった。東南アジア流のヘアスタイル……サイドを刈り上げる、スラムダンクのゴリのような感じ。すーすーして快適ではあるのだが。

髪型のせいか、濃い顔立ちのせいなのかわからないが、バリニーズたちにインドネシア語で話しかけられる。Sorry?と応じると「外国人だったのか!」といわれる。"You look like a local"とか言われて嬉しいやら悲しいやら。……いや、悲しい。



今回の旅はずっと憂鬱な気分だ。

この前次男のことを書いたけど、やっぱり神経症の原因にこの兄の存在があるようである。兄のことを書いて以来、抑圧化されてよくわからなかった規範が、直接的に響いてくるようになった。

「お前は何をやってもダメだ」「お前なんかに価値はない」というような「声」がするようになった。たとえば私がローカルな飲食店に入ろうとして、やっぱり入りにくいので立ち去ろうとする。そういうときに、「意気地なし」とか、「現地人がお前をバカだと思っているぞ」といった声が聞こえる。

バイクに乗って走っているときも、「お前は他のクルマの迷惑になっている」「お前は交通を妨げている」とかいう声が聴こえる。

この声は、かなりはっきりと私に命令してくる。そのたびに私はうんざりしてしまう。でも、少し嬉しいのであった。

それまでは、私を抑圧するものの正体がわからなかった。私はなんとなく、それが自分の意志だと思っていた。しかしそれは「他者の声」であることがわかったのだ。

以前は「私を殺すもの」は曖昧で掴みどころがなかった。私は怯えきっていた。いまはしっかり声が聴こえる。これは、嬉しいことと言っていいだろう。あとはこれをどうやって克服するか。



「私はそれに値しない」……愛にも、成功にも、一人前の仕事にも値しない……という強固な締め付けが、私の人生に常につきまとっていたと思う。

そのせいで私はまっとうに友人や異性と付き合うことがなかったし、実際的に何かにチャレンジすることがなかった。

例えば私は文章家になりたいとか書いているけれども、「自分の文章が認められるはずはない」と決めつけていた。

私は大学生のとき、音楽系の部活に入っていた。しかし「まともにライブで演奏できない」ひどい恥ずかしがり屋であった。ミスが怖くて、まともに進められないのである。これも根本的に「自分の演奏が認められない、認められるはずがない」という恐怖のせいだった。

同様のことはまだある。卒論発表のときに私の声はひどくうわずり、質疑応答もめちゃくちゃだった。

ただ、結果としては……私の文章もちゃんと読んでくれる人がいるようだし、私の音楽スキルも、なまじ10年近く続けているから、気がついたら人が驚くほどの技術が身についていた。そして卒論発表にしたって、他の研究室の教授が「君の研究はすごくおもしろい」と言ってくれたのだった。

いろんな人が私を認めてくれて(しかし強固な束縛のせいでそれらをほとんどすべて切り捨ててきたのだけど)、そろそろ自信を持ってもよいのかもしれない、と思うようになった。決して傲慢になってはならないと思いつつ。

……そういう段階になって振り返ると、「呪詛」の強固さに驚いてしまう。呪詛が人間の心の奥底に巣食い、その人生や生命を台無しにしてしまうことの恐ろしさ。

私の病気は医学的には「神経症」だが、どうも俯瞰して考えてみると次男や、あるいは家族の「呪い」と表現した方が近いような気がする。

「病」というと個人的・内在的なものという印象があるが、これはどうも外から降りかかる邪悪なものの結果という気がしているからだ。



私の兄はどういう存在だったのだろうか。

祖父の葬式のときに私が親族に言われたことは「お前がいちばん可愛がられた」ということだった。

しかし私自身は祖父に何かした記憶がない。私にとって祖父は無口で掴みどころがなく、正直なところあまり関わり合いになりたくない人物なのだった。むしろ次男の方が祖父母に対して献身的だった。荷物を代わりに持ったり、食事のときに料理を取ってあげるなどした(そしてそういったことをしないお前はダメだ、ということを言われた)。

しかし祖母が葬式の際に口にしたことは、驚くべきことだった。それは祖父が兄のことを「あいつは俺の舎弟だ」と言っていたということだった。孫を舎弟と表現することに私は驚いた。そうして兄弟のなかでもっとも祖父母に尽くした(ように思われた)のにもかかわらず、私をかわいがり、兄のことはどうでもいい、と思っていたようだった。

なぜかはわからない。次男は家族にとってなんだったのか。次男にとっては、家族は単なる憎悪の対象であるようだが。

私の家庭環境はかなり異常だったのだろう。しかしその家庭で育った者には、なかなかそれが理解できない。家庭の問題の難しさはそこにあるのだろう。私は家庭を離れて10年も経って、ようやく異常さに気づいた。しかし今でも十分には理解できていないのだろう。

過去を精算しなければ、この病は治らないという気がする。

私は14歳で神経症になり、今に至るまで「治療」は受けていない。ただ最近はしっかりとした治療を受けようかなと思っている。一般的な精神科は受診する気がしないが、一度ユング派の治療を受けてみたい。

ヘルマン・ヘッセが「デミアン」を書いたのは、ユング派の治療を受けた際のインスピレーションからだという。

私もユング派の精神分析を受けてみようと思っている。費用は高額だと思うのだが……。神経症ならフロイディアンの分析家がいいようだが、「フロイディアンの治療を受けると金持ちになれるが、ユンギアンの治療を受ければアーティスティックになれる」と昔からアメリカで言われているらしい。

なんとなくわかる気がする。
人というものは、自分自身がひとつにまとまっていないときにかぎって、不安があるのだ。かれらが不安なのは、公然と自己をみとめたことが一度もないからだよ。(デミアン)


今はウブドという街で過ごしている。「何もない街」、「芸術の街」だとか。私には海沿いより、この山のふもとの田園地域の方が落ち着くようだ(写真はキンタマーニ高原近く。冗談ではなく、ほんとうに「キンタマーニ」)。


2 件のコメント:

  1. 負は連鎖する。
    それをどこかで断ち切らないと!
    憂鬱な気分の旅もたまにはいいんじゃない?
    兄さんの話のあとのキンタマーニ…金玉兄(^-^;

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  2. そうですね。楽しめの旅というよりは、避暑に出かけたようなものなので。
    涼しくて滞在費が安ければそれでいいのです。

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