7.25.2017

そういう人間がいてもいい

朝の四時にはたと目醒む

ウブドの早朝はかなり冷え込む。

神経症治療の講演動画をYoutubeで見たが、次のような発言があった。
健康な人というのは、どんな小さなことでも他人に相談するんですよ。助言を求めるんですよ。で、何か言われたらそれをやるんです。ところが、神経質な人たちというのは、それは自分の欠点をさらけ出すとか、自分の弱点をさらけ出すと、そういう風に間違って考えてしまうので、人に相談できない。人に相談できないから、助言を得られない。
どの動画だったかは忘れてしまったが、これは私によくあてはまる傾向なのでメモをとっておいた。

これは赤面恐怖の症例発表だったと思う。たしかに私は神経症になって以来、同級生などには一度も相談していない。「その症状が外部に露呈している」にもかかわらず、それを具体的に客観視できる他者に助言を求めない……というのは、健常な考え方からすれば不自然ではある。このブログでも、神経症の症状を具体的に記すことを避けている。

その根底には、自分が変に思われるのではないか……という恐怖感があっただろうし、「自分の弱点をさらけだす」ということを恐れていたとも言える。

そもそも神経症以前から私にはスキゾな傾向があったと思う。以前書いたように家庭環境も異常だったのだが、根本的にひとと違う性質を持っていた。神経症はある意味具体的に生活に破綻をきたす「きっかけ」となっただけで、それ以前から私の友人関係はうまくいかなかったし、教師の指示を奇妙に歪めて捉えたり、特定のことに過剰な執着を見せたりといった傾向があった。

特に「人に受け容れられない自分」というコンプレックスは強大なものだったと思う。私は他者のどんなに小さな裏切りでも耐えられなかった。例えば私が好きな教師が私を注意すると、涙が溢れて止まらないということがあった。このコンプレックスは今でも続いており、継続的な人間関係がうまくいかない。おっさんとなった私はもはや「他者を受容する」ことを諦め、他者を突き放す方にシフトしている。

ヤスパースは、「自分を自分自身の上にだけ築く人間存在は地盤を喪失する」と語り、人間が「人間になるのは、いつも自己を他者にゆだねることによってである」という。

健全な対人関係を結べないということについてはやはり家庭環境が一番にあるのだろう。私の両親の仲は、私が物心つくころから悪かったと思うからだ。人は親を模倣するのだから、そんな親に育てば人間関係が歪になるのも自然である。しかしそれ以外に、私の生来の性質も大きいのだと思う。あまりに傷つきやすく、鋭敏なのだろう。

「賃金労働の搾取に我慢ならず仕事を辞める」とか、「日本の夏が嫌でたまらずに海外に避暑へ行く」とか、そこまで考えなくても?というような過剰な反応も、私の神経が過敏であることに由来している。以前は幅寄せしてきたトラックのミラーを叩き割ったり(警察に捕まった)、近所のうるさい犬に玉ねぎを与えて殺そうと思ったり(ギリギリで理性が勝って保健所に通報した)、そういう一種逸脱した行動をするのも、私にとって調和や安定が何よりも大切であり、それへの攻撃を自分への侵襲と捉える性質にあるのだと思う。

そういう「弱さ」を持っているから、他人というものに対する恐怖感もまた強くもっている。これはある意味で当然だろう。神経過敏でなくともひとは人間関係に悩むものだから。

赤面恐怖の症例では、他人に相談してゆくことである程度改善したようだ。私の症状の具体的な部分については……やはりまだ語る気にならない。赤面恐怖と比べるとかなり入り組んでいるし、フロイトやその弟子が取り組んだような古典的な症状ではない。これは現代の神父たる精神分析医に「告白」する類のものなのだろう。まあ、治ったら書いてみようと思う。

それにしても、神経症が治療されるべきものなのか、ということについては疑問を持っている。私は上に書いたように神経過敏だけれども、「そういう人間があってもいい」という気がしている。

私は神経症だったから、他者と打ち解けずに、哲学や文学にぶつかることができた。ニギニギしたリア充や、屈折したオタクではなく、私のような人間となるよう、「神経症によって」導かれた。神経症がなければ、私はさほど実存に疑いを持たず、人生の意義を深く考えることなく、ハイデガーの言う「世人」に近い存在だったのだろう。

神経症以前、発症してしばらくもそうだが、私は卑屈で自分は無能だと考えていたのだが、神経症が無知蒙昧から私を救った、と考えることもできる。神経症は極めて示唆に富んでいると思う。まだまだ汲み尽くせていないのだが。

結局のところ、また神経症である自己を肯定するような文章になってしまうのだが、やはりどう考えても、神経症は「治療すべき病」という気はしない。神経症はとても深い問題だと思う。今の認識レベルが5だとすれば、レベル10くらいにならないとこの病と「折り合いがつく」とは思えない。

まあ、この課題とじっくり取り組んでいこうと思う。

4 件のコメント:

  1. トラックのミラーをたたき割ったこともあるとか聞くと、「そんな一面もあるの!ギョギョ」っと思ってしまいますが、神経症を克服しないままの御厨鉄さんも十分魅力的だと文章から伝わっています。近寄りがたい人だろうけど、内心、親しくなりたいと好意的に思っている人もいるはずです。
    私の身近にいる神経症っぽい人に対してですが、こっちも親しくなりたくて頑張って話しかけたりしているのだから、せめて突き放す態度はしないでほしいと願う今日この頃です。
    BYブログのひそかなファン

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  2. 一般に神経質な人は他人を恐れますが、異性については特にそうでしょうね。
    ずっと好意のアピールを続けているとあるところで折れるんではないでしょうか?
    私の経験上、交際するような人はたいていそのパターンです。
    よほどしつこく好意を訴えない限りは黙殺されると思います。

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    1. 御厨鉄さん、返信(アドバイス)ありがとうございます。
      そうなんですか~。くじけそうだったけど、好意のアピールもうちょっと続けてみようかな。なんてったって、まだ好きなのだから。
      BYブログのひそかなファン

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  3. 神経症というのは本来あるべき自己の本質を獲得するために
    今現在の自己を否定する作業の過程で生じるものですからね。
    例えるなら虚偽の自分という麻薬に依存した状態から抜け出す際に起きる
    離脱症状のようなものです。

    ただ人によってはあまりに早くその過程が進みすぎたせいで
    精神が壊れてしまったりしますのでそこは気をつけましょう。

    その道を行く限りは、生涯目覚める可能性のない大多数の人々とは相容れないのも
    致し方ないと思います(ある程度のコミュニケーションは取れないと問題ですが)
    人はみなそれぞれ各々が属する精神領域に住んでいるのであって近い領域にいる人としか
    親しくなることはできません。周波数が違う人間というのは一緒にいるだけで
    居心地が悪くなりますからね。

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