7.06.2017

学校はいらない

教育は新しい世界宗教になっている。支配階級から軍人、そして労働者階級にまで期待を抱かせる救済の宗教である。世界的宗教は偉大な文化が衰退するときに興る(アーノルド・トインビー)
学校は国家のイデオロギー装置で、賃金労働者は奴隷である……というテーゼは、現代日本の常識からするとだいぶぶっ飛んでいる。ロックである。

しかし考えてみると、私は学校が楽しいと思ったことはないし、労働についても就職する何年も前から同様のことを感じ取っていた。

これは無意識レベルで常に生じていた感覚なのだが、私は意識レベルで抑圧していた。そうしなければ親に怒られるだろうし、教師に怒られ、友達を失うことになったろうからだ。

イバン・イリイチもアルチュセールも、私がすでに知っていたことを提示してくれたということになる。知識は……あらかじめ知っていることしか認識できない。黒船の存在を江戸の町民が認識できなかったように。

教育はすばらしい……働くことは良いこと……と、心の底から思っている人もいる(そういう人の方が幸福だろう)。

哲学のお話など周囲に1ミクロンもなかった私は、きっちりと高校を卒業するまで学校へ通った。

学校へ行くのは死ぬほど嫌だった。私は中学二年生の頃から神経症だったから、なおさら拷問のようだった。神経症は私にとって厄介で難解でまったくわけがわからず、毎日私はへとへとにへばっていた。今考えても、当時が人生でいちばん辛かったと思う。大学に入ったら授業はほとんどサボれたから(比較的)楽だった。(私がアメリカに生まれていたら土下座でも賄賂でも駆使してホームスクーリングを希望しただろう^^;)

数十年前から、教育の内包する暴力が主張されていた。イリイチはすでに「教育は暴力である」と結論づけていた。暴力的な教育があるのではなく、教育は暴力なのである。それで、あくまでイリイチはそもそも教育を根絶すべきだと主張した。尾崎豊ではないが、学校をぶち壊せと主張したのである。

しかし現代の教育論では、すでに何十年も前にイリイチが主張したことを黙殺している。いまだに「なぜ教育の現場で暴力が起きるのか?」ととぼけた顔をしている。

それは教育を否定することが、あまりに強大なことなので、民衆はそれを認識できないのである。現代は奴隷一揆後の社会なので、識者やエリートたちはこれを黙殺した。そうして黒船はいつの間にか沈没した……。

0 件のコメント:

コメントを投稿