7.27.2017

食べる人、食べられる人

もう私はある程度、熟達したというか……生きていく上で必要な知識に関しては、ある程度身につけたように思う。

本来ならそういった知識は親から子へと文化資本のかたちで継承されていくのだろうが、私の場合はちまちまと岩波文庫など読んで、少しずつ獲得していったということになる。

いったい学校教育や両親の教育が何だっただろうか?私の頭を無理矢理に抑えつける以外には。私はそのままで生長することができたはずなのに、余計なことばかり詰め込まれたお陰で、まずはそれらを一掃して、きちんと「人間向け」の教条を次に飲みこんでいかなければならなかった。

もっとも世の中のほとんどの人間は、「人間向け」の知識を授かるわけではない。彼らには一種の家畜としてのしつけを受けるにすぎないのではないか?

朝の8時には出社する、目上の者には決して歯向かわず、命令に忠実である、労働の技能を洗練させる、今ある境遇に満足し、幸福だと感じ、それより上の世界(例えば黙っていても月に5000万円入る生活)を望まぬようにする諸々のしつけが与えられており、彼は学校+家庭+職場の諸装置において、ほとんど寝ている間以外のすべての時間、耐えざる鞭打ちに晒されている。彼がついに労働に不能となるまでは。

もちろん彼は定年退職だとか、精神がイカれた、障害者となったなどで労働から解放された以降も、消費者として生きることが求められる。これが第二のディシプリンである。彼は多数の商品(ガラクタばかりだ!)、消費物のなかでも、特に医療を消費するよう強いられる。現代の日本の高齢者などは、きちんと蓄財して消費者として「活躍」できるよう教育されているではないか。まあ最後には労働者としても消費者としても機能しなくなれば、やさしい安楽死が待っている。

と……このような人生、鞭打たれ追いやられる悲愴な者たちというのが、二十一世紀の一般的な生き方であるらしい笑 牧人が導くのではない、群衆を動かすのは犬たちである。哀れな群衆は下賤で最低な者たちに蔑まれ蹴飛ばされながら……汗かき血反吐を吐きながらぐるぐる回っているというわけだ(もっとも、犬が畜群であり……畜群が同時に犬であるということも往々にある)。これが世の下層の仕組みであって、どことなくウロボロスを想起させる。もし私たちに智慧の翼が与えられたならば、このようなことは簡単に見てとることができるのである。

下層の仕組み(Steve Cutts)
前にも書いたことだが、智慧ある者は、彼ら群衆を踏みつけてその上に立たなければいけない。峻酷であること、それが智慧をつけた者の次の義務である。峻酷さとは、慈悲深さのそのまま反対である。
それぞれの力の中心から発するより強くなろうとする意志、これだけが唯一の実在である――自己保存ではなく、わがものにし、支配し、より大きくなり強くなろうと意志すること(Mehr-werden-, Starker-werden-wollen)(ニーチェ)
想念のみ豊かにし、行為せざるは暗愚なりと、ギーターにもあった。
行為を営まざるにより、ひと、至為にいたるにあらず。また、捨離のみによりて、成満に達するにもあらず。
そは、なんびとにあれ、一瞬たりとも、行為をなさずしてあることなければなり。といえるは、ひとみな、物質より生ずる素因ゆえ、あながちに行為をなさしめらるれば。
行為の器官を調伏し、心にて、五官の対象を想起しつつ坐す暗愚の徒輩は、偽善の徒といわる。
されど、内官により五官を調伏しつつ、アルジュナよ、行為の器官もて行為道を営み、無依無着なるひと、そは上機なり。
定められたる行為をば、そなたはなせ。行為は無為にまさる。そなた無為なるに、身体の維持すらも叶わざるべし。 
と……バリコーヒーを飲みながらニーチェを読んでいたら興奮してしまった。

ニートがニーチェを読んで興奮している。私はほんとうにコーヒーに「酔う」。だから紅茶や緑茶しか飲まないことにしてるのだけど、サービスでくれたので飲んでしまった。

ちなみにバリはヒンドゥー教が強い国(島)でマハーバーラタが人気だけど、あまりギーターの部分は読まれないようだ。ギーターはやはりインドの様子。

3 件のコメント:

  1. うわっ!なんて贅沢な時間!
    そのロケーションでバリコーヒーと読書だなんて、羨ましい限りです。私もいずれは東南アジアを旅してみようと思います。

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  2. そんなに高いホテルでもないのです。一泊1600円くらい。
    東南アジアは、乾季に行くことをおすすめします。雨季に行ったタイは、暑くて嫌になりました。

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  3. アドバイスありがとうございます。是非そうします。引き続き快適な旅を!

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