7.18.2017

やるせない家庭に生まれた

他者に対する恐怖が私を支配しているらしい。それが神経症としてあらわれているような気がしている。他人が怖い。恐ろしい。危害を加えてくるのではないか、という恐怖。

なぜここまで他者を怖れるのか。たぶんその前提には、歪な家庭環境があったのだろう。私はおそらく、「生きている価値はない」というようなことを言われ続けた。

私の兄弟仲は悪く、ほとんど口をきかない。特に次男とは話さない。次男とは、5,6歳頃までは非常に仲がよかったと思う。私はお兄ちゃん子であり、どこへ行くにもついてまわった。彼は私よりふたつ上で、ハンサムだったし、スポーツができ、ゲームもできたし、絵がうまかった。

しかし、母は私の方を愛した。まあ次男より末っ子の方がかわいいのは当然、できが悪ければなおさらなのかもしれない。しかし、母の私への愛はかなり偏執的なものだった。私の両親は私が15歳のときに離婚したのだが、思えばその頃から母は家庭に居場所がなかったように子供心に感じた。「おまえがすべてだ」「おまえが世界でいちばんかわいい」というようなことを言われたと思う。

そういう母の態度の関係もあったのだろうが、次男は次第に私をいじめるようになった。私をバカと罵ったり、無能とか、生きている価値がないとか、そういう言葉で罵った。両親の見ていないところで執拗に殴られたこともあった。実際、私は兄を自分よりあらゆる面で有能だと感じていたから、それらの言葉を受け容れた。

ほんとうに、こんな感じだった……
もっとも、日本は母権社会なので、聖書と事情は異なるが……

いまでも思い出す光景がある。小学6年生くらいの私は次男と、同じ部屋で寝ている。台所から、父が母を罵倒する声が聞こえてくる。母の声は聞こえない。黙って泣いているのだろう。私はその声を聞きながら、薄暗がりで見えない兄に「ねえ、離婚するのかなあ」と言った。兄は、「そんなわけないだろ」とだけ答えた。今考えると、次男も不安でたまらなかったのだと思う。

次男はフリーターになって、今は結婚している。嫁は年上で、少し性格が母に似ているようだった。

冠婚葬祭の際に兄弟が集まることがあるが、一言も交わさない。あるとき、次男が「俺には兄弟はいない」と言っているのを聞いたことがある。またあるときには、兄弟が三人実家に集まったときだったが、叔母が泣きながら私の部屋にやってきて、「お前たち仲直りしなさい」と説き伏せたことがあった。あのときも私は困惑したふりをしてみせるだけで、結局仲直りはしなかった。

別に、仲直りが嫌なのではない。正常な家族関係というものが、もはやわからないのである。言葉ではわかる。行為としてはわかる。しかし、感情としてどのような繋がりが本来的なのか、ということが、もはやわからない。

そういえば、この次男という存在があったのだ……ということを今日思い出したので書いくことにした。

これを読んだ人は、私の家庭は陰鬱でまったくやるせないものだ、と思うかもしれない。実際、そのとおりである。陰鬱でたまらなかった。



なぜ私は哲学するのだろうか。私は実際の世界から置き去りにされている。マルクスがこういった、ニーチェがこういった。そういう言葉を集めてどうするのだろう。もしもニーチェやマルクスが、なんていうことのない俗人だったらどうするのだろう。ニーチェ研究の清水真木とか、ラカン研究の松本卓也が私は好きだけれど、彼らも単なる教養俗物だったらどうしよう。彼らはその研究でおまんまが食べられて、偉い学者と褒められるからいいのだけど。私はそれらを楽しく読んで、気づいたら何も経験のない衒学的なおじいさんになっているのではないか。なにせ、読むという行為には時間がかかるのだ。カントも、ヘーゲルもまだ読んでないよ。なんで私が、哲学のお話の世界に首を突っ込んでいるのだろう。彼らはそれが「仕事」なのだ。私はなんのために?かっこいいからだろうか。知的に見えるからだろうか。ほんとうにそれらの源泉から、何かを汲み取っているのだろうか。

実際の世界に、沈潜したいと思いつつも、私にはそれはあまりに刺激が強すぎる。ゆえに、すべてが通り過ぎてゆく。ホンモノの恋愛、ホンモノの仕事、ホンモノの情熱、そういったものは、私のような存在には権利がないように思われる。

結局、生きるとは不幸に他ならないのだろうか。

3 件のコメント:

  1. 哲学の究極の目標は人が神になる神化(Apotheosis)です。
    御厨鉄さんの内面の奥底にあるものが望んでいるのはそういったものです

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  2. 血が近い者は難しいと思う。深く考えなくていいよ。
    おっさんは苦しみながらも前に進みながら表現している。そんな姿に刺激を受けたり、学ばせてもらったり、考えさせられたりしている者がいる。
    家族を深く考える必要なんてないよ。苦しくなるような事からは極力目を背けて、自分が心地良いと思う事だけ考えればいい。難しいけど…自分のため。
    ガンバレおっさん‼︎

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  3. 苦しむことにも疲れてきますね。人の何倍苦労しているんだろうと感じることがあります。
    結局、なぜ哲学するのか、ということもこの苦しみが原因なのだろうと思います。
    いずれにせよ、おっしゃるとおり、自由に、楽しくやっていこうと思います。

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