7.31.2017

ネット化・世界はますます孤独に冷たくなる

日本人は冷たい個人主義者である、と書いたところ、「日本人ってクズですよね」というコメントがついた。しかし、私は日本人はクズだとは思わない。むしろ、先進的というか、世界でいちばん進んでいる種族だと思われる。

次第に世界の人々は日本人化するのだと私は思っている。今後はアメリカ人もドイツ人も中国人も、「集団主義的」であることをやめ、ネット時代的な分断された個人へとシフトしていくのではないかと私は考えている。

というのも我々の社会における「ネット化」は不可逆的なものだからだ。

不可逆的なネット化

私たちはもう「交通化(モータリゼーション)」以前の時代には戻れない。自動車のない生活が考えられるだろうか?電車のない生活、飛行機のない生活はどうか。

同様に、ネット化以前には戻ることができない。

インターネットはインフラ化された。つまり私たちはインターネットを「前提」として諸行為を行うようになった。買い物、レストランの予約、学習、動画閲覧、読書、ゲーム、そしてコミュニケーション。

交通化は人々を「速度」に依存させてゆく一方で、「歩く能力」を奪った。医療化は「自己(自然)治癒能力(または苦しむ能力)」を、学校化は「学ぶ能力」を奪った。これはイリイチの指摘したことである。

同様に、ネット化も人々から奪う性質を持っているのではないか。そしてネットが奪うもの、それは集団主義、コミュニティ的な性質であると私は考える。

月並みな表現になるが、私たちはインターネットによってコミュニケーション不全を来たす。つまりインターネットによってコミュニケーションを取ろうとすればするほど、コミュニケーション不能になってゆく。これが融和不可能な個人としての「個人主義者」である。

イワン・イリイチが指摘したことはまだある。進歩の持つパラドクスである。医療を受ければ受けるほど人々は健康を損なう。教育を受けるほどバカになる(岩波文庫一冊も自力で読めない受験エリート)。自動車化が進むほど慢性的な渋滞や満員電車を生み出した。

私たちは電車や自動車で「便利に快適に」なったのだろうか?いまや都心のサラリーマンは平均一時間かけて通勤している。ニューヨークのホワイトワーカーも同様の時間を自動車通勤で費やしている。モータリゼーションは環境破壊を引き起こし、人々の健康を蝕んだ。公害による健康被害、騒音、交通事故、生活習慣病。

世界中どんな国の人々であっても私たちのほとんどは、学校や医療、交通の諸制度を「進歩的」だと考えている。より多く「教育され」、「治療され」、「運ばれ」た方が「良い」と考えている。これら諸制度は神話化されており、ほとんどそのマイナス面の作用、副作用が認知されていない。多くの教育、医療、交通、ネットのインフラが充実している国家が「先進的」であり、それがないことを「後進的」と考えている。これはほとんど宗教的信条のレベルである。

私たちはインターネットにおいて、さまざまなコスト抜きでコミュニケーションがとれるようになった。部屋から一歩も出ずに他者と会話できる。自分のマイナス面を提示しなくてよい(不細工、低収入、低学歴など)、優位な面を強調することができる(友達が多い、リア充である、金持ちであるなどのペルソナ的自己)、相手にバカにされるなどのトラウマ的経験が回避しやすい、etc。

このように低コスト化したコミュニケーションの広がりが私たちを「ネット・コミュニケーション」依存にする一方で、逆説的な現象が起きる。つまり「コミュニケーションに満たされながらも充足感が決して得られない」という状況に陥る。

ネット化された社会においては、さまざまな疑問がインターネットを通じて一瞬で解決される。母親に進学相談をするよりも「知恵袋」で聞いた方が早く正しく、父親に釣りのコツを聞く必要もない。友人に本音を打ち明ける必要はない。

私たちは気の合う連中と一瞬で繋がることができる。賑やかにふざけ合うことができるし、時には人生の憂いを分かち合うことができる。しかしほんとうの疑問は解決されないし、ほんとうの孤独感が満たされることはない。私たちは限りなく繋がっていながら、限りなく孤独になるということである。

私たちはネット上では親友のようにふざけあい、戯れながらも、街ですれ違った人や電車や信号待ちで隣り合った人に対しては限りなく無人格的に認識し、決して目を合わせたり会話することがない(夏目漱石の小説には、電車内で喧々諤々の政治討論が起きる描写がある)。

その一方で、私たちはスマホやパソコンに釘付けになっている。


限りなく繋がっていながら、限りなく孤独な社会である。しかし本来的な、インターネット以前のコミュニケーション形態に戻ることは不可能である。ネット化は不可逆的だ。それが私の強調したかったことだ。

不可逆的ということは、世界中が今後個人主義化してゆくということである。一度モータリゼーションを受けいれた国家は、自動車を廃止するわけにはいかない。それと同じで、ネット化は人々を変質させる。

そして医療化や教育化の副作用に人々が無自覚であるのと同様、インターネットのコミュニティは好意的に受容され拡充されるだろうし、その結果、人々の孤独感の総和はかつてないほど大きなものになるのだと私は予想する。

追記

インターネットを「インフラ」と書いたが、具体的には「facebook」「知恵袋」や「2ちゃんねる」をインフラのモデルと考えた方がよいと思う。私たちはこれらのサイト(または似た形態のサイト)を使わずにはいられない。これらのサイトは広告によって収入を得ている。インターネット広告は我々に直接コストを強いるわけではないが、私たちを「消費者化」することによって収入を得ている。広告業とは人々を消費者化し、企業に売り渡すビジネスである。このようにして人間同士のコミュニケーションも「商品化」されたということになる。資本主義の成熟は人々の会話をも商品化するというわけだ。

企業の王者の変遷……トヨタ、マイクロソフト、Googleという流れは象徴的である。医療機構、教育機構という半ば国家制度化された産業も、そうとうに巨大なものである。インターネットの交流サイトもまた、巨大産業化するだろうと私は思っているし、現にそうなりつつあるのだと思われる。

1 件のコメント:

  1. とてもタメになる記事だった。今後の身の振り方を考え直してみようと思う。

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