8.02.2017

日本人は冷たい個人主義者である2

前の続き……

日本人は個人主義だ……と言ったところで、それを反証するようなことはいくらでもある。

例えば「日本人は列に並ぶ」「上司が帰るまでは終業時間が過ぎても帰れない」といったことがある。

こういった規範を例にあげて、日本人は集団主義的である……和をもって尊しとなすの精神だ……と考えることは自然なように思われる。そこに他者に対するいたわりだとか、謙譲の精神を見つけられるかもしれない。

ただ私は、これは文化的なものではないと思っている。文化的というよりは、抑圧的な教育の結果なのだと考えている。これは文化ではなく、作られた伝統なのだと。

このことは、世の中でもっとも「列に並ばなければならない(規律を守らなければいけない)」・「目上の存在が絶対である」組織を考えてみればわかる。

それは軍隊である。

しばしば指摘されているように、日本の教育は軍隊的である。その教育の成果が「列に並ぶ日本人」なのだと考える。

画一的な制服、体罰、遅刻や欠席を許さない。体育の時間の「行進」「前にならえ」「回れ右」。今の中年層や高齢者であれば、竹刀を振り回す「鬼軍曹」教師の姿が脳裏に焼き付いているのではないか?

日本の体育祭

私たちの一見「集団的」と見える行動は、「軍隊的」であるということである(もっとも、日本ほどではないにせよ他国の教育も多かれ少なかれ軍隊的である)。(暇があれば愛知教育委員会の資料(pdf)を読んでみよう)

それでは、「軍隊的」と「集団的」とはどのような点で異なるのか。それらは同一のようにも見えるし、結局のところ日本人は集団主義と言えるのではないか?と人は思うかもしれない。

私は集団主義というものの原理は「家族的集団」と考えている。各々が分離されたバラバラの個人ではないということである。たとえばママンと融和的であるイタリア人男性だとか、家族を何よりも大切にするアメリカ人、女性を追っかけるフランス人といったように。

そこにあるのは他者に対する全面的な肯定と、それによる融和的な相互関係である。他者を尊重し、許し、自己が尊重され、許される。これが集団主義の原型と考えている。

一方で軍隊的な組織においては、これと逆の現象が起きる。他者を許さない、尊重しないということである。

日体大の競技「集団行動」

日本人の同胞に対する視線は、つねに懲罰的である。これが私の発見したことである。

列に並ばない奴がいる。残業せずに帰る奴がいる。遅刻する奴。不潔な奴。頭の悪い奴、良すぎる奴。それらの規範に違反した者に対する視線には、「排除」と「懲罰」への強い衝動が隠されている(さながら「非国民」を見つけ出そうとする戦時中のように)。

日本人は常に他者を監視する一方で、同時にこの視線に晒されている。そのため逸脱に対する強い恐怖を日常的に感じている。この恐怖が「列に並ぶ日本人」を実現している。

日本人的な集団組織は、相互監視の倫理が働いている。そこには「他者を利する」という観念がない。集団主義的であるなら、その成員として集団を利しようとする積極性があるはずだ。しかし現実にそこにあるのは「他者を罰する」という衝動だけである。

ゆえに、日本人は軍隊的である。軍隊に何よりも必要なのは規律である。その規範は教育を媒介として日本人に植えつけられ、メディアなどでは「文化」として紹介されている。

他者に対する懲罰的な視線は、他者に対する関心のなさを意味する。他者が何を感じ、何を思うかはどうでもいいのである。

彼らを突き動かすのは、自分が懲罰を受けることへの恐怖と、他者に懲罰に与えようとする衝動である。このふたつは内面化されてしまっているため、ほとんどの人は無自覚だが、私たちの共同体組織はこのような原理で動いているということである。

このような規範による関係には、集団主義的血縁的関係の入りこむ余地はない。それよりも遥かに強い規範だからである。ゆえに、妻は夫を罵る。夫は家庭を顧みない。子どもは学校でいじめられる……といったことが起きる。ツイッターやブログの「炎上」もその例である。

家族内であっても、他者を罰しようとする国家権力(フーコーの言うような権力)が介入する。そこは依然としてパブリックであり、家庭であっても血縁的と言えない場と化している。

このような状況はとても「集団主義」とは言えない……というのが私の考えである。事実はまったく逆で、日本人は「軍隊的」であり、同時に「個人主義的」である、と私は考える。


……というふうに、日本は特異に軍隊的な国なのだ……と考えて、さまざまな日本文化論を考察してみるとおもしろいのではないかな、と思う。思った以上に「日本人は冷たい個人主義者」ということが発見できるはず。



wikipediaを調べてみると、山岸俊男という北大の教授が同じようなことを言っていた。
山岸は『心でっかちな日本人』で、日本人が集団のなかで(己を犠牲にしてでも)遠慮し合って協調的に行動するのは、喜んで・好んで・進んで・自発的に・前向きに"集団の利益を望んでいるから"ではなく、「集団の利益に反するように行動するのを妨げる社会のしくみ、相互監視と相互規制のしくみが存在しているから」、「圧力やしがらみ、あるいは社会のしくみのせい」であるとする(集団主義
そうそう、これが私の言いたいことだ。

結局……外国人に日本人の心情なんてわからないから^^;

「日本人は集団主義」というスティグマもガイジンに与えられたもの。それを日本の学者がありがたがって広めた。

日本人はもっと功利的で、冷たい人種なのだ。それが真実だと思う。

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