8.03.2017

路傍の狂人のkrima

なんだか社会批判めいたことを書いてきた……。が、これってどうなのか^^;

たとえば「日本人は冷たい」と書いたときに、こう問うこともできるのではないか。

日本人は、実は優しいし……血縁主義的だ。「日本人は冷たい」という主張は、私がたまたまそういう境遇にあったからだ、と。冷たい家庭に育ったからだろ?と。

また、前に労働について「労働の本質は搾取だ」というようなことを書いたとき……「修羅の世界に生きてるな」と批判されたことがある。この発言の意味は、「俺はそこまでひどい世界には住んでいない」「労働が搾取されない場もある」ということだろう。

(そこでたしかに反省することはあった……。日本は、資本家不在社会。労働者と対立する資本家が(大企業規模では)ほとんど存在しておらず、高級労働者と下級労働者しかいない、と山本哲士が指摘していたが……。階級のどこかの段階で「搾取する労働者」へと変化する場合があると考えることもできる。

私は日本のしょうもない小企業(そこには明白な資本家が存在する)しか勤めたことがないので、いまいち具体像が掴めないのだが……。大企業の上級管理職クラスになれば、年収3000万円くらいになれば、搾取する側になるのでは……。どうかな、微妙かもしれない^^;難しい問題だと思う)

マアここでの話はそういうことではなく、私の限定的な体験、特殊な立場をもって、それを全体化して世を論ずることが適うのかどうか、ということである。

「私」という存在は私にとってかけがえのない生であって、私は他者の人生を生きることができないし、他者は私の人生を生きることができない。私は14の年から神経症……マア暗鬱な10代20代を過ごしてきたわけで、normieたちよりもずっと、社会に対しては批判的な目を向けている……。

たとえば私にとって今の日本社会は……「人類史上稀にみるえげつない搾取の場」なのだが……(日本だけでなく世界全体の搾取が最大化していると思うけど^^;)。そんなことを公言したら、「キチガイ」扱いでしょう。

いまは奴隷も解放されて「民主化」された社会だ!もっとも公平で自由な社会だ!とnormieは思うはず。普通の人にとって日本は、治安が良くて、食べ物がおいしくて、教育レベルが高くて、お金持ちで、ひとびとは礼儀正しい……と思っているわけで……もしかしたら世界一住みやすい国かも?と考えるかもしれない、そういうムードのなかで、「日本の搾取はえげつない」などと大きな声で言えるわけではない。

無論、少数のひとはそんなことを考える機会があるのかもしれない。もしかしたら北朝鮮をバカにできない程ひどい国なんじゃないかと……。しかしひとは明日の仕事、明後日のバカンスに心を奪われてしまい、そんなことを熟慮することはなくなる。そんなわけで仕事がnormalizeの装置として働いてしまう。

ああ、羨ましい限り……。黄色い壁に親しむことのできる世界だ。「あいつらは握ってしまう!スプーンを、握ってしまう!」というわけだ。道具化する精神と肉体。

私は労働から追放された……あるいは解放されたNEETであるので、いくらでも考えることができる。いや、実際恐ろしいことであって……息継ぎができないのだから。気晴らしにバリ島なんかにきているけど……。脳みそはどんどんoutsiderの方に向かっているわけで……。

狂人はpersonalな問題か、いやそうではないはずだ、狂人の問題は社会に全体化できる。という思いが……今朝ばああっと頭に浮かんできた。つまり……問題はすべて全体化できるのである。それどころか、問題はすべて外から与えられると考えることもできる。

もっとも、そんなことはかつて読んだことの繰り返しに過ぎない。
狂気は、未開の状態では、発見されることはありえません。狂気は、ある社会のなかにしか存在しないのです。つまり、狂気というのは、狂気[とされるもの]を孤立させるような感情のあり方、狂気[とされるもの]を排除し、つかまえさせるような反感(嫌悪)のかたちがなければ、存在しないのです。こうして、中世において、そしてルネッサンスにおいても、狂気は、一つの美学的ないし日常的な事実として社会の視野のなかに立ち現れていたのだと言えます。そして、十七世紀において――ここから監獄が始まります――狂気は、沈黙と排除の時代を経験することになります。
ってフーコーが言っていたにもかかわらず……まだこの智慧は一般化されていない。

結局、フーコーもゲイだし……アルチュセールは統合失調症だし……フロイトもパニック障害だったわけで……天才と狂気の境界は難しい。例えばアルチュセールのイデオロギー論は……もしアルチュセールが優れた知性を持った高等師範学校の教員ではなく、なんてことのない郵便配達員だったとしたら……「国家が私たちを支配している!」なんて発言は、世界で初めての抗精神病薬……クロルプロマジンでも与えられておしまいだっただろう。

哲学って結局……「狂人の歴史」だったんじゃないかなあ、と思うわけで……。かつてはカントは心身ともに壮健なギリシャの古代彫刻のように思われていたが……それは民衆の偶像化……願望に過ぎなかった^^;

高潔な古代ギリシャ人は……病気や物忘れをしたとき、何か過失や犯罪をおかしたときにもこう叫んだ。「ダイモーン(精霊)が悪さをしているに違いない」。実に健康的な思考回路ではないかな。
 
私たちは悪を内面化するよう教え込まれている……。だからなにか不快に感じたときに「今現在私が悪いに違いない」と考える。治療されなければならない。教育されなければならない。矯正されなければならない……。現実には、問題は外にあるのかもしれないのに……「狂気は、沈黙と排除の時代を経験することになります」というわけだ。

MAHAOは統合失調症だし……私は神経症。文は人を表す。MAHAOのブログはnormieからすれば「キチガイブログ」に見えるらしいし……私のブログも、イカれたブログなのだろう。

ギリ島の宿にいたにゃんこさん。

1 件のコメント:

  1. 狂人とは自らの命や、他者の命を平気で危険にさらす人のことかなと考えていました。アウトサイドに落ちた人はただそれだけでは変人というだけで、狂人とはまた少し違うというか、狂人とはやはり命を何とも思わない位の何か盲目的な信念や行動規範がある人かなと思います。
    黒崎さんは狂人とはまた少し違って、隠者とか自閉的な人物という印象があります。
    労働に身を投じている人のなかで、搾取することが、当然となっていることや、過労死するまで働く人は、やはり社会的な居場所はあるにせよ狂人なのではないかと思います。

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