11.13.2017

チンパンジーの戦争、人間の戦争

私は霊長類研究に詳しくないが、霊長類といえば、京大の研究が最先端のようである。

ボノボの性器をこすりつけあう同性愛的行動、「ホカホカ」の命名をしたのも京大グループらしい。「ほかほかしてあたたかそう」ということだが、なんだか素敵なネーミングである。




現京大総長、山極寿一の「暴力をどこからきたか 人間性の起源をさぐる」という本を読んだ。




正直いって、タイトルはひどい詐欺だ。ゴリラやチンパンジーの話ばかりである。内容はおもしろいものの、「いつ人間の話につながるんだ?」とイライラさせられた。結局、190ページほど読んだところでようやく人間の話になる。

本書を読んでもっとも気になったのは、人間の戦争と、チンパンジーの戦争をわけて考えていることである。チンパンジーのグループ間における戦争は、メスの獲得、テリトリー争いによって起きるとされる。
チンパンジーの戦いと人間の集団間の戦いには明らかな違いがある。それは、チンパンジーのオスたちは自分たちの利益と欲望に駆られて戦いを起こしているのに対し、人間の戦いは常に群れに奉仕することが前提となっているからだ。(p221)
ここでは、「人間は利益と欲望に駆られて戦いを起こしているのではない」ことになっており、どうもピンとこない。そんなに簡単に言いきっていいのだろうか。

(DR CLIVE BROMHALL VIA GETTY IMAGES
威嚇する子連れのチンパンジー。
通常、戦争においては5,6体のオスで、敵地に乗りこみ、単独のオスを襲う。
戦争状態の画像もあったが、流血がグロかったので威嚇の画像で。



人間の戦争では、なぜ大量殺戮が行われるか……という点については、「それは言語の出現と土地の所有、そして死者につながる新しいアイデンティティの創出によって可能になった(p222)」としている。

言語の出現によって、時間や空間を超えた「国家や民族という幻想」が生まれた。また、農耕によって価値の高い土地を囲う習慣が生まれ、人間の生活に境界が生まれたとする。そして、自分の系譜をたどる人のアイデンティティのとらえ方が、民族の幻想を強化した。上記は納得できる。

しかし以下の記述はよくわからない。
食の共同と性のルールによって生まれた愛と奉仕の心は、その力が及ばない領域を支配する者たちによってすりかえられ、戦争へと駆り立てられる(p226)
私の国語力の問題かもしれないが、前後を読んでも「その力が及ばない領域を支配する者たち」が明白ではない。

一般的な意味での国家や共同体の「支配者」と考えるなら、納得できる。戦争は古来より、つねに「防衛」であると主張されてきた。「テロとの戦い」なんて言葉は記憶に新しいだろう。善良なる民に悪なる民が戦いをしかけてくるのだということは、どこの国でも主張される。

したがって、「国家や民族という幻想」を植えつけられた私たちが、国のために、国民のために「愛と奉仕の心」によって戦場で命を投げ捨てるということは、理解できることである。私たちのような被支配者の下っ端は、幻想の力によって「兵隊さん」になるわけだ。

しかし、そもそもの戦争の目的は何なのだろうか。幻想を生み出してまで戦争を行う理由はなにか。やはり、チンパンジーと同じ「利益と欲望」となのではないかと私は思う。平たく言えば、権勢puissanceへの欲望ではないのか。

無論、戦争勃発の直接のきっかけとなる権力者は「国家のため」「わが民族のため」と主張するだろうし、また実際にそう思っているだろう。しかしそれが、無意識化された「利益と欲望」の、別の形での表出であることは、想像に難くない。

私はやはり、チンパンジーにおける戦争の本能は、人間も有しているのだと考える。それは「愛と奉仕の心」よりも、単純に攻撃本能に根ざしていると考える。

このことは、人間をよく観察すればわかる。人間は決して戦争や暴力が「嫌い」ではない。

古来より武勇のある男性は尊ばれたし、現代でも戦争や暴力の描かれたゲームや映画を、人はどうしようもなく好む。戦争でかっこよく敵兵を倒す人があれば英雄視される。そして、田舎では暴力的なDQNがモテる……。

戦争もまた、チンギス・カンの言うような「最大の喜び」になりうるのである。
「人間の最も大きな喜びは、敵を打ち負かし、これを眼前よりはらい、その持てるものを奪い、その身よりの者の顔を涙にぬらし、その馬に乗り、その妻や娘をおのれの腕に抱くことである」

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