11.24.2017

「日本死ね」の意義

いまさらながら、「日本死ね」について思うところを。

保育園落ちた 日本死ね!!!



2016年2月の投稿であるが、いまだにインパクトがある言葉だ。

この発言は、例によってネトウヨ――国家批判には脊髄反射する与党の末端装置――によって激しく攻撃された。しかし一方では、国家に不満を抱く大衆の深い共感を呼んだ。

「日本死ね」という言葉が波紋を呼んだのは、たしかに「日本死ね」という言葉が「有効」だったからである。それは民衆の心に響いたし、政治家の深い懸念をも生んだのである。実にこのような言葉が開けっぴろげに叫ばれるのは、日本では非常に稀なことなのであった。

国家とはなにか

「万世一系の天皇」のおかげかわからないが、私たちは素朴に現代の日本を2000年以上の歴史を有した国だと思っている。

しかし私たちにとっての「日本」とは、第二次世界大戦後のそれである。原爆が落とされ、敗戦(終戦ではない)によって国家システムは解体され、占領軍によって再編成を受けた。支配者は戦犯として処刑され、財閥は解体、憲法が改正された。そのとき国家構造は大きく変わった。

その80年ほど前にあった激変である、明治維新においても同様である。国家システムはなにもかもが劇的に変わった。ひとびとはめまぐるしい変化についていけないほどだった。

明治維新において日本は「死に」、敗戦によって再び日本は「死んだ」のである(バブル崩壊でも国家は死を経験したかもしれないが、今回はそれは問わない)。

このように、「日本」という国家は死と再生を繰りかえす。

国家とは、いわずもがな「幻想」である。国家は目に見えないし、耳にも聞こえない。国家はただ言語によって、ロゴス(言葉、理性)によってのみ成立するからである。

私たちにとっての「国家」は、戦前の「国家」、江戸時代の「国家」とは同質ではありえない。このことが意味することは、国家は死に、再生され、構造を変えうるということである。

「国家の「死」とは主権を失い、他国に併呑されることである(引用元)」などと言う者は、実に子どもじみた歴史観を持っていると言う他ない。国家が死ねば、新しい国家が生まれるだけだ。どのような国や共同体もそのようなプロセスを繰り返してきた。

「日本死ね」という叫びの有効性

日本という国家は、明治維新で死に、第二次大戦で死んだ。このことが意味することは、「今ここ」の日本は死にうるということだ。「日本死ね」という言葉は特異な表現ではない。私たちにとってそれが「ありえないこと」のように思われるのは、それが薩長同盟や同盟国によってではなく、市民によるものだからである。

「日本死ね」という叫びがあるとき、それはネトウヨがはしゃぎたてるような「反日感情」が理由なのではない。明白な革命への意志である。「死ね」という言葉が内包するのは、批判というよりは暴力である。すなわち政治的な批判ではなく、国家構造に対する暴力の意志である。

「日本死ね」が革命への意志だとすれば、それはどのような革命だろうか? 私はそこに、市民革命の根を見た。つまりフランス革命にあったように、「国家のための国民」ではなく、「国民のための国家」に対する目覚めである。

市民の「日本死ね」という発言が私に想起させるのは、「社会契約」である。国家と国民の関係は契約に依拠する。市民が最大限の自由を平等に享受できるようにするために国家構造が存在する。

国家は、私たちを育てた親ではない。私たちが不可避的に、運命的に屈従しなければならない「毒親」ではない。そのように見せかけ、振る舞うとしても、国家とは私たち国民のためにあるものであって、少数の特権階級のためにあるのではない。

すなわち「日本死ね」とは、「そのような国家なら私はいらない」という糾弾の叫びである。私の子どもが保育園にも入れさせられない、そんな国家ならいらない、という叫びである。政治的な変革を望むのではない。戦後から続く国家システム全体を問うているのだ。

このような発言が歴史的に共鳴するのは、明治維新直後に勃発した大規模な一揆(伊勢暴動)であると思われる。明治政府は改革を次々に打ちだしたが、農民には重税を課すばかりであった。それに対する農民の蜂起である。そのときの民衆は、日本国家に対する拒絶を血によって現した。

「三重県下頌民暴動之事件」(月岡芳年画)

「日本死ね」という言葉は、実に市民革命的である、と私は考える。それは新しいとともにとても古風だ。遅ればせながら、市民革命の「芽」が萌えたわけだ。

以上述べてきたように、この短くインパクトのある言葉は、重要な意味を持っていると私は考える。そして現代日本ではきわめて「異質」の発言である。政治家は本能的な直感によってこの発言を極めて警戒したし、かたや芸術家や言論家はこれを大々的に賛同し、流行語大賞に載せるなど挑戦的なことをした。「日本死ね」をとりまく人間模様は実におもしろい。

個人的には、明治維新から敗戦まで77年。敗戦から今年2017年まで78年。そろそろ他の国に恥ずかしくないまともな市民国家になってもいいんじゃない? と私は思う。

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