11.25.2017

日本社会と同調圧力

日本の社会構造は同調圧力によって維持されている、というお話。




日本人の「国民性」、「国民的な問題」としてなにがあげられるだろうか。

付和雷同、痴愚、臆病、非効率性、上意下達、無思考性、権威主義、非生産性、サービス残業、自殺、革新性のなさ、いじめ、差別意識、政治的無能、等。

これらの根底にあるのは何か。同調圧力である。

この同調圧力が支配層にも適用されることは、政治腐敗、警察腐敗、企業腐敗、マスコミ腐敗などといった、権力組織の腐敗に日頃慣れ親しんでいる私達には明らかだろう。

隠蔽、談合、賄賂、捏造、癒着、天下り、暴力団との関わり、職権乱用、等。

いずれも同調圧力によって説明できる。

この同調圧力によって、日本でどのような社会構造が成立しているのかを考えたい。

一般的な間接民主主義

まず欧米諸国のモデル。

間接民主主義が機能している欧米諸国においては、以下の図のような構造がある。



この制度は、人民のなかでもとくに優秀・信頼のできるリーダー層を、議員として選挙を通じ採択し、国政を委託するというシステムである。

直接民主主義と比較しての間接民主主義のメリットは、政治的決定の迅速さ、効率性。また民衆のなかでも優れた・信頼のできる候補を選出するため、衆愚政治になりにくいこと。

間接民主主義の機能している社会で保証されているのは、代表者の責任意識、公正さがあげられるだろう。また人民における多様性の承認や保障、政治的関心の強さ、法治主義、理性主義などがあげられる。

日本の社会構造

日本の社会構造は表面的には間接民主主義であるが、事実上以下の図のようになっていると私は考える。

高い凝集性を持つ日本社会

同調圧力の極めて強い日本においては、まず「突出したリーダー層」が発達しにくい。

このことは政治的な結果に限らない。日本人の思想的、技術的に革新的なアイデアが発生しにくい傾向や、制度的な硬直、責任主体の不明瞭さなどは、「出る杭を打つ」ような集団内の規範に求められる。

民衆からリーダーが生まれない一方で、血縁的に代々政治家であった者、あるいは財界など支配層の生まれにあった者は、財力や政治ノウハウ、人脈や後援会といった資本によって、政治家の地位を保持する()。

したがって、日本の政治家は政治家として育てられ、門閥的に政治家となる。この点から言って、日本の政治家は市民を代表しているわけではないといえる。

ところで同様の形態は、別の形の権力組織にも見られる。官僚、マスコミ、財界、宗教組織、暴力団、警察、皇室など、それぞれの領域における支配層もまた、代々支配層である家の生まれが多い(同じ組織とは限らない)。

このような社会で特有なことは、支配者層全体が血縁的つながりによって一塊となって政治行為を行うということである。官僚、マスコミ、財界、宗教組織、暴力団、警察など(米政府を加えてもよいだろう)、それぞれの領域における支配層が、相互に力学をはたらきかけ、干渉しあいながら政治的決定が行われる。

諸外国から見ると不可解な日本の政治家の言動や、議員が国民を代表していない、政府が国民の権利を守らない、といった異常な状態はこのことによって説明される(その実相が顕著にあらわれたのは原発事故の際である)。

日本の社会構造では、支配者層と人民層が断絶しており、政治家が民衆の意志を代表するという間接民主主義制は破綻し、別の形をとる。すなわち、強固な身分制、封建主義システムが構築されている。

そしてその構造維持の力学としては、人民や支配者の同調圧力(フーコー的な権力)の凝集力によって、その体系が維持されている。

同調圧力が特徴づける民族性と社会構造

はじめに述べたように、日本人が日本人たる由縁は同調圧力にある。同調圧力とは、各々の成員による他者に対する厳しい検閲であり、それは二次的に自己に対する自己の検閲を生みだす。

このことが日本人の高い規範意識のもととなると共に、集団主義的な傾向とその弊害を生み出している。同様の同調圧力は支配層にも例外なく働いており、社会構造そのものを決定している。そのように思われる。

この高い凝集力がどのように、なぜ、日本で発達してきたか? はまだわからない。

日本の伝統的な文化にあるのかもしれないし、明治政治の近代化の過程で生まれたとか、GHQ占領による国家解体の時期から生まれたのかもしれない。あるいはこのような同調圧力は共同体に自然なことで、個人主義的民主主義が成立している欧米にこそ特別な理由(キリスト教、啓蒙思想など)があるとも考えられる。

今後調べたいと思う。



0 件のコメント:

コメントを投稿