12.02.2017

学校はいつから監視装置となったか?

学校はいつから監視装置になったのか。




パノプティコン型の刑務所


教育とは何か、を調べる中でつねに次の疑問があった。
いつから「近代的な」学校が生まれたのか。

日本の学校の起源は藩学や寺子屋に求めることがある。しかし明治政府により輸入された「学校」とは、別物である。寺子屋と近代学校にはほとんど連続性が見つけられない。

教育史を調べてもよくわからなかったのだが、今日ブックオフで108円で買った「いま教育を問う」という本で、栗原彬が良くまとめられた記述をしていたので引用しつつ考えていきたい。栗原は立教大学名誉教授。




いかにして学校が、近代化がなされたのか? すなわちパノプティコン型の、近代国家の権力装置として働くようになったのか。

栗原はその変革を一八世紀後半のアメリカに求めている。

学校の空間構成に大転換が起こった。教師と多数の生徒が対面して、訓練としての一斉教育が施されるシステムの、空間への表象。それが私たちの知っている学校、本稿の冒頭に見た小学校の光景にまでつながる近代学校に他ならない。
そしてパノプテイコン型の教室構造となったのは、「ランカスター・スクール」に起源が求められるとする。

4──ランカスター方式の教室(1810) 点で示された生徒
ランカスター方式の教室(1810)点が生徒。

一目瞭然だが、現代の教室や講義室の典型的な構造である。これが19世紀初めに発明されたということになる。栗原は寺崎弘昭の議論を引きながら、このモデルがパノプティコン的に機能することを説明する。
ランカスタースクールにはパノプティコンの原理が貫かれている。すなわち第一に、教師=監視者と生徒=囚人の対面の構図は、円形のパノプティコンを半径で切断して開いた形である。第二に、ランカスター・スクールは、生徒が「メリット・バッジ」を獲得することで席順を上昇する競争原理を導入しているから、生徒間の相互監視と孤立化がいわば監房の壁となる。第三に、真の監視者は、ランカスター・システムそれ自体であって、一見監視者と思える教師はシステムの代行者であり、しかもシステムが差し出した犠牲者でもある。
としている。

このことを図示すればこうである。



ところで栗原の記述は興味深い。「真の監視者は、ランカスター・システムそれ自体であって、一見監視者と思える教師はシステムの代行者であり、しかもシステムが差し出した犠牲者でもある」。

真の監視者は、ランカスター・システムそれ自体ということで、絵図でも監視者を「構造」「場」というようにした。このように図示してわかることは、監視者は不在化、非存在下し、構造化あるいは空間化されるということである。

この空間は学校に限られるのだろうか。それは無限に拡大し、いわば私たちの生活空間を、「学校化する社会」へと変貌させるのではないか。非学校化空間が不在化することで、近代国家が成立するのではないか。この性急な議論は今は置く。

いずれにせよランカスターシステムは欧米社会に広がってゆく。規範による効果というよりも、経済的な目的からであったが。
(引用者注:ランカスターは)著作『教育の改革』(一八〇三)で有名になり、自ら各地で教育法の講演を行ない、ロシアやフランスなどのヨーロッパ諸国にまでその方法を広める。さらにアメリカでは、彼がクエーカー教だったおかげで、すでに一八〇四年にフレンド会を通して、教育法のパンフレットがニューヨークに送られており、翌年から各地で公式な教育法として認められた。一八一八年には本人も移住し、モデル・スクールを設立。すぐにアメリカの多くの主要都市で、このシステムが学校に適用された。これが素早く受け入れられたのは、やはり現地でも急激に人口が増えており、できるだけ多くの生徒を、できるだけ少ない教師で教える必要があったからである。(「教育と学校 2──クエーカー教と近代施設 | 五十嵐太郎+大川信行」より)
現代の学校のモデルは、十八世紀後半のランカスターが端緒だったということである。

画一的な教育の誕生

教育は昔からあった。
だが、現代のように国家によって統一された教育があったのではなかった。現代的な国家によるスタンダードな教育モデルの起源を、栗原は以下のように求める。
アメリカのマサチューセッツ州教育長をつとめたホレス・マンは、特権層の子どもに教養教育、大衆の子どもに職業訓練というヨーロッパ型の教育方式を拒否して、社会のすべての階級の子どもが通う公立学校制度を提唱した。マンは子どもが学校に行くことを義務化し、学校と教育を同義語にした最初の人物である。
ホレス・マンはWikipediaによれば、
1837年、新しくマサチューセッツ州の教育委員会が新設され、彼がその事務局長に任命されて以来、彼はアメリカの教育改革の歴史にその名を留めることになる斬新な改革に次々に着手していく。彼はその任に1848年まで在任……
とあるから、「金持ちも貧乏人も共通の教育」という現代のような国民共通の教育の起源は、19世紀前半に生まれたことになる。

Horacemann.jpg
ホレス・マン氏の肖像。なんだかアニメに出てきそうな濃ゆい顔立ち。


この平等教育はしかし、うまく機能しなかったようである。
クリストファー・ラッシュが言うように、「悪徳」と「毒」をしめ出すことによって市民社会から遊離したマンの学校は、抽象的な道徳の天国と化して、マンの使命感、情熱、雄弁とは裏腹に、子どもたちから想像力を奪い、子どもたちを「眠らせ」てしまった。(「いま教育を問う」)
象徴的な記述である。現代的な学校は当時のマサチューセッツ州では「抽象的な天国」にすぎず、悪徳と毒に満ちた社会こそが現実だったのである。これは現代の私たちとは異なる。私たちは抽象的な天国を生きていて、「悪徳」や「毒」はフィクション作品や、刑務所や精神病院に閉じ込められているからだ。当時のアメリカは、社会が十分に「学校化」されていなかったことを示しているのである。


善が隔離された旧来社会、悪が隔離された現代社会の違い


また、教育の効果はたしかにあったのだと思われる。だから現代でもその教育が世界中のスタンダードとなったのである。おそらく「眠った」子どもたちは後の長い人生のうちのどこかで「目覚めた」はずである。その一例はたぶん、1861年の南北戦争に至るまでの間、マサチューセッツ州が進歩主義、超越主義、奴隷廃止派運動の中心だったことにも現れているだろう。

山本哲士がよく言ったように「社会が学校を再生産するのではない。学校が社会を再生産する」というテーゼが実証的にこの時代のマサチューセッツ州に現れているように思う。

1 件のコメント:

  1.  AI教師なるものが中国の教師を解雇して、現在教育を行っているそうです。日本でも通信教育などをへき地の少子化が進む学校などで導入し、採点や双方向性の通信授業などを通して、教育を行っているそうです。
     そもそも論なのですが、クリエイティブな教育と国が主導する教育では、その平等性や規模感などの問題もあり、進歩が遅れるのではないかという懸念もあります。後、2045年問題として、人工知能による労働環境の激変及び、失業者の増加などの問題もあるので、日本式教授型教育というものがどこまで、「悪徳」と「毒」と「変化」に満ちた社会に適応できるのか甚だ疑問です。

    返信削除